新しい挑戦を一生懸命に
日差しが良いので隅田川を歩いていると、遠くにアルトサックスを練習している音が聞こえていた。
多分、やり始めの人だろう、スケールをまともに吹けていない。
それでも、引っ掛かりながら吹き続けている。
吾妻橋を渡るとサックスの音が大きくなった。
橋の下から鳴っていた。
下に降りて音の主を確かめた。
私と同い年くらいの初老というか、白髪頭の男性だった。その時、二つの事に気付いた。
一つは、そのアルトサックスの音にケチを付けていない事だ。
自分を不思議に思い「なんで?」と突っ込んだ。
そうか、真面目に一生懸命にやっている人、生きている人にはケチを付けていないのだ。
私がケチを付けるのは、人生や自分を舐めている人だけだった事に気付いた。
もう一つは、コツコツと挑戦している姿に、ふと私自身を振り返らせたのだ。
この初老の男性の姿勢を持っていない事に気付いた。
「そうか」
この時、もう一つ同時に浮かんだのは幕末の剣豪白井亨の話だ。
この白井亨の記した言葉が、私の武道探求の姿勢を決めたと言っても過言ではない。
書き出せば長くなるので止めるが、白井亨27歳の時、自分自身の武道の取り組みや、武道そのものに疑問を持った言葉だ。極端に短く言えば「こんなつまらない事に人生を賭けて来たのか、私は間違っていた」と涙した、という話だ。
どうしてこの話が頭に浮かんだのかは知らないが、とにかく浮かんだのだ。
と書いていて、この3ヶの事は私を通して私に繋がっている事が分かった。
という事は、私自身がこの正月から褌の締め直しをしようという事だ。
大阪のワークショップ会場が新しいところ、JR野田駅近くの玉川になる。
この辺りは残念ながら詳しくない。
でも、中学生時代、体操と喧嘩で仲が良かった下福島中学がある。
「それがどうした?」なのだが、「ある」のだ。
ワークショップは「身体塾」から始まる。
身体塾は字の如くで、身体を操作するところからだ。
身体を操作出来ると、力みが無くなる。
それは、身体を「どう操作するのか」を知らないまま動かしてしまうからだ。