唯一無二の場

相馬中央病院 内科医長 原田文植(内科医)

「人生は短く 術の道は長い 好機はすぐに過ぎ去り 経験は誤解を招き 決定は困難を極める 自分の義務を遂行するばかりでなく 患者 介護者 環境がおのおのの役割を果たせるよう取り計らうのが 医師に課された役割である」

医学の父ヒポクラテスの言葉です。

医師のみならず、全医療従事者が心に銘記すべき、重要な理念ではないでしょうか。医療を自分の進むべく「道」と決めたなら、あとは役割を果たすのみです。

明鏡塾はこの理念を真の意味で実現しようとしている唯一無二の「場」です。

回を重ねるごと、受講者の皆さんの眼差しが変わっていきます。非常に心地よい「距離間」、真剣に「聴く」、相手に違和感を抱かせることなく「触れる」、最も大切な技術であるにも関わらず、臨床現場できちんとできている人は本当に少ない。学ぶ機会はほとんどありません。根拠もなく、我流でやってるのが現状です(意識さえされていないかもしれません、残念なことですが…)。

明鏡塾で学ぶことによって、この技術と効果に確信を得ることができるでしょう。

患者さんと本気で向き合い、患者さんの無限の可能性を確信できれば、治癒率は信じられないほど上がります。
日野先生は「絶対にみんなができるようになる」と断言されます。真の医療はチームでなければ実現することできません。

ここにたどり着いた自身の「運」と「縁」を確信して下さい。

限界を感じているあなた、迷っている時間は無駄です!仲間になって、オモロイ世界を一緒に創りましょう!

​※「1971年、大阪生まれ。医師・医学博士。相馬中央病院 内科医長。内科認定医、認定産業医、スポーツ健康医、在宅医療認定医。合同会社ロータス・ダ・ヴィンチ役員。大阪医科大学卒業後、大阪府済生会中津病院血液リウマチ内科専修医として働く。大阪医科大学微生物学教室で博士号を取得後、国立感染症研究所にてフラビウイルスの研究に取り組む。2008年より蔵前協立診療所所長。日本東洋医学学会に所属。医療活動のほか、執筆活動、コーチング、武道家・格闘家との交流、映画出演、都内を中心に音楽ライブ活動など幅広く活躍 『病は口ぐせで治る! 医者が教える「病気にならない言葉の習慣」』より」

「触れる」は進化する!

理学療法士 尾森亮太

「触れる」というのは、理学療法士としての私の現場では日常的行為です。

例えば相手に触れる時に、「何に触れるか」ということを明確にするだけでも、触れる手の印象は変わります。そのことで、触れた手から得られる情報は変化しますから、患者さんにとって適切な部位に手当てをすることも可能になってきます。

日野先生は受講生に「自分自身が要求すれば、いくらでも触れるは深くなるで」と伝えてくれています。

これは私にとってはとても斬新な考えでした。

適切に触れるためには、解剖学的知識や運動学的知識、また触診の練習が必要だと考えるのが一般的でしょう。私も臨床に出たての頃はそのように考えていました。ですが、日野先生からその言葉を頂いたときに、ハッとしたのです。

「そうか、自分自身が自分自身の手に何をさせたいのか。それを明確にする過程が触れるの進化なのだ」とその言葉から気づきました。

自分自身の手に何をさせたいのか。それは言葉を変えると、自分自身の手に意思を持たせるということです。

意思のない手は、相手に大変な不快感を与えます。

『明鏡塾』では、まずこの意思のない手を、意思ある手に変えることが求められます。

具体的には何に触れるか、例えば筋肉に触れるのか、骨に触れるのか。触れた部位から脈をとるのか、呼吸を感じるのか。対象を明確にし、「どんな情報を知りたいのか」をはっきりとさせるのです。

そういったものに「深さ」や「質」があることは日野先生の「触れる」に、そして『明鏡塾』という場に教わりました。

「意思を明確に」という切り口の他に、「触れる」には必ず対象となる相手の存在があります。そうなると、こちらの一方的な意思で触れようとすると、相手は違和感を示し、嫌悪感を抱かせてしまうことがあります。そこで重要になるのは、相手との「関係性」ということになります。

「違和感を与えたらあかん」

これは稽古の度に、いただく言葉です。
逆に言えば、それほどに相手は違和感を感じている、感じさせているのです。もちろん、「違和感を与えたらあかん」と言葉をもらい、「よし、そうしよう」と思っても、そう安々と出来るはずもありません。

様々な稽古を通して、自分自身が相手に違和感を与えていることを知り、どう修正するかを問われます。そのときに、手かがりとなるのは、日野先生の示すデモをきちんと「見ること」と稽古相手のフィードバックです。

「見て分かるようになりなさい」
これも日野先生がよく使われる言葉です。昔から「百聞は一見に如かず」や「見習い」という言葉、つまり見て習えということが言われています。見る目を養うことは、理解すること以上に、技術の習得には不可欠です。また稽古相手のフィードバックも極めて重要です。会を重ねるごとに変化するのは、このフィードバックの質です。

皆の「触れる」は良い方向に進むと同時に、受け手の感覚もよくなってきます。ですから、「触れる手はよくなったけど、入り方が雑に感じた」や「触れている最中に少し手がぶれていた」など具体的にどんなことに違和感を覚えたのかが明確に言語化できるようになってきます。

そのフィードバックをヒントに、そして日野先生のデモを頼りに試行錯誤した経験が「触れる」を変化させていくのです。

「稽古に勝るものはないで」
我々受講生が日野先生に教わっている最重要なものは、この事かもしれません。それは今なお進化を続ける日野先生が証明している事だと思います。

自分自身に成長を要求する。

そして、効果的な鍛錬の仕方を考え、常に検証していく。現場は常に相手との関係性の上に成り立つという大原則を認識する。即席でできるようになる事、分かりやすさという観点に偏ってしまうと、「稽古をする」という考えや実際に馴染みにくいかもしれません。

日野先生は「こころある医療従事者が育ってほしい」と願われています。そうなりたいと思っても、どのように具体化すれば良いかわからない方。

ぜひ『明鏡塾』の門を叩いてください。

「触れる」が進化するほどに、患者さんや利用者さんの反応も変わります。それは症状や状態が良くなるというだけでなく、本音を打ち明けていただいたり、関係が濃密になっていきます。

「いのちに触れることはできない」 
これも日野先生の言葉です。
確かにそうかも知れません。ですが、常にいのちと向き合っていると認識することはできるはずです。

その認識が、『明鏡塾』の塾生の成長を支えているのだと思います。「触れる」は進化します。それも際限なく。

そのことを『明鏡塾』塾生は証明していきます。それが「こころある医療従事者」の仲間が増えていくことにつながることを楽しみに、そして使命として、今後も鍛錬していきます。

美しい言葉は、ここにあった

看護師 木村芳子

なんで看護師になろうと思ったんだろう
どんな看護師になりたいって思ってたっけ

きっと忙しい現場にいると、そんなことを考えることがありませんか。私しょっちゅうでした。

そして、看護の世界では、患者さんやご家族に”寄り添う””共感する””生きることを支える”といった、抽象的できれいな言葉がたくさん飛び交っています。

私も緩和ケアを専門領域に看護師として活動をしているので、そんな言葉をよく使っています。でも、どうしたら患者や家族に”寄り添った”ケアになるのか、ということは学校で教えてくれません。

それは臨床に出てからも、その具体的な患者や家族との関わり方を、集合教育などで習うこともありません。実践の中で、各自が身に着けていくものという感じが強いように感じます。

本当は看護の本質で、とても重要なことなのに。

少なくとも私はそうやって約10年くらい、もがいて過ごしてきました。想い描く理想の看護は、いろんな本や人との出会いの中で、きれいな言葉がどんどん増えていってさらに彩りが鮮やかになっていきました。でもそうなればなるほど、その理想を実現するためには具体的にどうしたらよいのか、ということを知らなければと思いました。

医療が高度化する中で、覚えなければならない知識も多くなりますが、看護の基盤を支えているのは、目の前にいるその人そのものと関わり、その関係性をもとにその人に働きかけ、援助していくというものだと思います。

そして、私たちが患者さんやご家族に寄り添うためには。

真に患者さんやご家族の声を聴くためには。

患者さんやご家族に私たちの声を届け、安心や希望を見出してもらうためには。

私たちはその場に違和感を与えずにどう存在することが求められるのでしょう。どうその場、その人に触れればよいのでしょう。

それを明鏡塾では「具体的」にしていきます。

その具体的なことを知識だけではなく、実際に身体を使って体験していくことで、自分のものにでき、感覚はどんどん澄んでいきます。そして 臨床の現場では明らかに患者さんやご家族の反応が変わっていきます。

とても面白いくらいに、患者さんやご家族の笑顔がきらきら輝く、私たちの笑顔もきらきら輝く。

当然のことです。関わる私たち自身が大きく変化しているのですから。

きっと明鏡塾が終わるころには、看護師としての自分がとても明確になっていると思います

だから、その場にいるときの在りようも、発する言葉も起こす行動もすべて違うはずです。そんな素敵な場を誰がつくっていくのか。その誰かを待っていても誰もやってくれません。

その変化にあなたがなりませんか。
そのための仲間が明鏡塾にはいます。

本気で楽しむ、本気でいのちと寄り添うための時間と場が、明鏡塾にはあります。ぜひ看護師のみなさんとご縁がつながっていくことを、たくさんの仲間が楽しみにしております。

ほんまに、面白いことやりませんか

内科医師・東洋医学医師 来須正幸

明鏡塾はどんなところでしょうか?もし何か熱中して打ち込んでいる事があれば、それを深く突きつめていくのに明鏡塾は役に立ちます。

もしなんとなく仕事をして日々を過ごしているだけなら、明鏡塾に参加することで何か大事なことに気がつくかもしれません。なぜなら、明鏡塾は心の奥深いところ、生命の本質的なことを学ぶ場だからです。

本質的で深いことにふれると、喜び、驚きがあり、めちゃくちゃ面白いです。

仕事にはもちろんのこと、人生の上でも、実益以上のものが得られます。

私は明鏡塾第5期を受講中の京都の町医者で、参加してまだ4回目です。初学者なりの未熟な感想ですが、明鏡塾の受講をご検討中の皆様に何か御参考になれば幸いです。

明鏡塾は塾と名がついていますが、手取り足取り教えてもらう塾ではありません。

それぞれが自ら主体的に学び取っていく場です。

しかし自分で感じとる、学びとるという姿勢さえあれば、目の覚めるような驚くべき学びが得られます。

同期には20~50才台くらいの理学療法士、整体師、医師、看護師、歯科医師、鍼灸師など、個性豊かな様々な仲間がいます。

和気あいあいと色々なワークに取り組んでいるうちにみんな、顔つきや居住まいが変わっていき、精神的にどんどん大人になっていくのが不思議です。

明鏡塾の主な課題の中の一つに「背中に触れる」があります。

寝ている人の背中に両手を当てて、相手を感じとるというワークです。最初は何でそんなワークをするのか、さっぱりわかりませんでした。物理的に相手に触れても、相手に「ひとに触れられている」と感じさせない、そんなことが可能だなんて思ってもみませんでした。

しかし日野先生に背中に触れてもらうと、自他の境界がなく、自分の存在すべてを受けいれてもらったかのような、シーンとした静寂の世界に包まれます。

一方、生徒同士で触れ合うと違和感がすごくあり、きちんと触れていないことに気づかされます。その後「背中に触れる」などのワークを何度も試行錯誤していくと、やがて自分の心が静かに澄んでいき、集中が深まり、心境も深まり、世界が変わっていきます。

明鏡塾というだけあって、明鏡止水の境地に少しずつ近づいていく感じがします。

​しかし、純粋に背中にふれて感じることはとても難しく、一朝一夕にできるものではありません。まず課題に取り組み、自分のダメなところを赤裸々に認識することから始まります。

私の体験例ですが、「相手を感じとりたい」という意志が弱いとアウト、自他を隔てる壁があってもアウト、自分に雑念、妄想が浮かんでもアウト、今この瞬間から意識が外れて先のことを考えてもアウト、小手先の工夫をしてもアウト、自分に余計な筋肉の緊張や不自然な姿勢があってもアウト、終わるときに「残心」がなくてもアウト、と自分のダメな点に次々と気がつきます。それにめげず、前を向いて、やりたいことに無我夢中で没頭することが、成功への鍵を握るようです。

自分の思い込みの世界、妄想世界から抜け出し、無意識の心の深いところで、相手を感じとろうと挑戦します。

人は「自分が一番大事」というプライドを大なり小なりみんな持っているので、直球でダメ出しされたり、自分のダメな姿を写真や動画で直視することはつらく、覚悟が要ります。

時には日野先生の大阪弁の叱咤激励で泣く人もいます。

しかしその裏には大きな慈愛が感じられるので心配はいりません。またプライドは「こんなことで、へこたれる私ではない」などと大きく活用するのがお勧めです。

明鏡塾でいろいろなワークを経験すると、今この瞬間すでに「人と人って深いところでつながっている」ことを体感します。

また、他人は自分を映す鏡で、自分の至らない点を如実に教えてくれます。そして仲間同士で切磋琢磨していくと、心境が深まります。心境が深まると、活き活きと生きることができます。一生仕事ですが、やがてそれは、心おきなく死ぬことにつながるでしょう。

日野先生の原点とも言える著作に「常識を打ち破れ、行動をおこせ!」「迷ったら原則に戻れ!」があります。

読んで文章を理解するだけでも価値はありますが、頭で理解したことは時間が経てば忘れてしまいます。こういう大事なことは実際に自分の身体で経験、体験しないと身につかないし、いざというときに役に立ちません。

機会があるうちに、自分の身体で学んでみることを強くお勧めします。皆様によいご縁がありますように。

病は気持ちを壊していく

外科医師・堀切康正

「あの人に会うとなんだか元気になるし、身体の調子もよくなるわ。」

医療従事者として、患者さんにそう言ってもらえることが嫌な人はいないと思います。

では、どうすれば患者さんにそう感じてもらえるのか?

「こんにちわ、担当の堀切です。よろしくお願いします。」

外科医の私の仕事はここから始まります。そして、この挨拶をした時の一瞬に、私の人間としての実力が全てが詰まっています。

その実力とは、「相手を安心させられること」です。

これはとても漠然としたものですが、この漠然としたものを、明確な対象として取り組んでいるか否かというのは重要な事です。何故でしょうか?

外科医が言うのも変ですが「病は気から」と言う言葉が昔からあります。

元々は、気持ちが病を引き起こすという意味で使われますが、私はもう一つ違う解釈を付け加えて本当の意味になると思っています。

それは、病は気持ちを壊していく、という意味です。

気持ちが原因で病になり、病になったことで気持ちが壊れ、さらに悪循環となる。器質的疾患、精神疾患であってもこの流れは変わりません。

相手を安心させる力というのは、ここで威力を発揮すると思います。病で壊れかけた気持ちを、安心させることで癒してあげる。気持ちの悪循環に陥りそうになった患者を救ってあげる。

これは、医療従事者が現代医療の知識、技術より以前に持っておくべき普遍的で最も重要な技術ではないでしょうか。

「明鏡塾」とは、相手を安心させるための技術を、本当に、教えている稀有な勉強会です。

本当に、と強調するのには理由があります。

大体のコミュニケーションの研修などでは、お手本を真似して、相手が感想を言って終わりですが、「明鏡塾」では実際に意識や体に起こっている変化を検証という形で判定します。決して独りよがりの状態を良しとはしません。逆に独りよがりに気付いたり、指摘し合ったりします。つまり、相手にきちんと作用する状態を目指し、塾生とともに切磋琢磨していきます。

「明鏡塾」での実際のワークは大きく分けると3つあります。

  • 相手に不快感や違和感などの不安を与えず、心地よくなってもらうための「触れる」
  • 自分の意思を相手の心に届け、そして心を動かすための「声を届ける」
  • 相手の全てを受け取るための「聞く」

です。

これらの実際は、ぜひ教室や体験セミナーに参加し、体験してみてください。日野先生の技術に触れたら今までと全く新しい世界が見えてくる事をお約束します。そして、これらの技術を研鑽する中で、自分と人との関わり方が劇的に変化していくことを体感できます。

笑いが免疫系に影響を与えることが研究されるようになり、ある程度時間がたってきました。

私は、笑いのもっと先に「安心」という人と人との関わりで生まれるこころの現象が、今後必ず医療業界で注目されるものだと確信しています。

どうすれば患者さんが安心と感じるのか?という問いを最初にしました。

それに対する一番の答えは、「明鏡塾」で学ぶ事です。

安心という目に見えない働きを真剣に勉強する「明鏡塾」という場で、皆さまと一緒に勉強できる日が来るのを楽しみにしております。

触れるというのは、エベレスト登山より難しい 

鍼灸師・高尾政己

(カナダ・トロント在住・治療院:Presence Acupuncture Clinic. )

私は鍼灸師としてカナダのトロントで日々患者さんに接していますが、日野先生のワークを続けていくうちにある現象が起こりました。
それは鍼を使わなくても同じように治療が出来るという発見です。

日野先生のワークショップを受ける前までの私は例えば「筋肉」は「筋肉」、「腱」は「腱」というように身体というものを名称 で単体的な把握しかしていませんでした。

しかし、「意識が身体を動かしている」という事が知識ではなく体感出るように なり、「意志」というものがどれだけ多大に身体に影響してるのかが本当に良くわかるようになりました。

鍼灸の世界では脈診というものが残されています。そしてその感覚で病気を当ててしまうというすごい方もいらっしゃます。しかし残念ながらそんな神業ができる方はひと握りしかいません。

それは日野先生が特に重要視されている「関係性によって人の反応は変化する」という最も大 切な部分の認知が完全に欠落しているからです。もちろんこれは大変な頭の入れ替えをしなければできません。つまり知識を一旦白紙にして「感じる」 を優先させてその結果に知識を載せる、ということです。

日野先生曰く「触るというのはエベレストに登るよりも難しい!」この先生の言葉は先生の体験から発せられた言葉であり言葉が先に生まれたわけではありません。

「何故そうなるのか?」、「何 が違うのか?」
その視点を持ち、研鑽していかれた結果の言葉です。

日野先生の視点や実践が、ワークを通して感じられたらものすごい価値のある体験になると思います。

患者さんには触れていなかった

歯科医師・下条勝彦

明鏡塾では、まず最初に「背中に触れる」ワークから始まる。

歯科医として日常背中に触れることはないが、人に触れ、触れられることにより、互いにどれほど違和感を与えているか、4回のワークを終え、ますます強く感じている。

仕事はもちろん日常生活の根本のところなのに、未だ触れることが出来ない。しかしながら、触れられる体験を通して違いは少しずつ分かるようになって来ている。

「目で聴く」というワークも行う。

お互いに良く知っている簡単な歌を歌い「聴き」「届ける」のである。

聴いても、届いてもいないと言われるが、最初は全く理解できない。先生は、「犬の呼びかけは自然に自分に向けられたことが分かるのに、ほとんどの人間は同じことができない。本来当たり前のことである。」と言われる。

確かに先生の行っている姿を見た後、自分たちのワークを行っている姿を写真に撮り比べてみると、違いは歴然である。未だ相手としっかり向かい合い歌を届けられないが、違いは感じとれるようにはなった。

今まで見ていた物の周りに、見えていなかった世界がこれ程広がっていたとは、本当に驚いている。

患者さんがドアを開けた瞬間から始まる「関係」の大切さは頭で分かっていたが、その意味は全く理解できていなかった。

治療を敬遠する原因は「痛み」、「機械音」などと言われており、どうしてもそこに捕らわれてきたが、それを感じる「人」に対しどんな対応をしてきたか、どう見られていたのかを考えると、汗顔の至りである。

違和感から生じる緊張を減らすだけでも痛みが減ることに気が付いたり、笑顔が増えたりと徐々にではあるが変化が現れている。

今後がますます楽しみである。