日野晃の大阪ワークショップ
もしかしたら「場?」かな新着!!
昨日の稽古には、オーストラリア人とフランス人が受講した。どちらも合気道で、フランスの女性は東大への留学生だ。 私がいない時に、数回受講している。レオさんのお弟子さんだ。 体重移動を数種類行った。 両人とも勘が良いのか苦戦 […]
大阪ワークショップお疲れさまでした!次は、、
大阪ワークショップが終わり、熊野道場に戻っている。 沢を登り水を出しに行くと、思いのほか水が少なくて驚いた。冬の雨が少ない時期位だ。 日本列島大雨被害が出ているのに、この辺りは穴が空いているのだろうか。水が少ない分、作業 […]
ずっと同じことを書いてるわ、加齢はこうなるわな。
例えば、稽古で「片手両手持ち」という定番の体重移動をする。 そうすると、まずはそれが「出来るか・出来ないか」だ。で、「出来ない」とすると、「何が?出来ないを実現させているのか?」を探さなければいけない。 ここで、頭が迷子 […]
閃いた事は、全て実現する
「浸透する蹴り」は即興で生まれたものだ。
だが本質的には、骨盤や胸骨を使った蹴りであり、決して蹴るという意識を持たない蹴りだ。
それが、基本的な稽古なので、そういった稽古を積み上げている中で、ふと閃いた、というものだ。
だから、とんでもない事が突然できた、というのではない。
逆に言うと、積み重ねていなければ閃きもしないということ、そして、閃いた事は全部実現できる、という事でもある。
私は、自分で生きたいだけ
「3ヶ月やっているが、何一つ出来ないし、進化しているように思えない」と言うような事を言う。
ここが昨日書いた「熟成」の部分だ。
言葉としては部分だが、実際はこちらが主要部だ。
熟成させる、「何を?」この「何を」を見付けられなかったら、時間の浪費だともいえる。
「これをですか?」と熟成させる内容を質問されることがある。
それは質問しては駄目な事だ。
だから一生を賭ける、人生を賭けるというのだ。
答えを他人から死ぬまで教えて貰う人生を歩む人は、そちらを選べば良い。
もちろん、そこに良し悪しはない。
私は、「自分が生きたいだけ」なのだ。
そんな話もワークショップでは、身体の動きを通して(武道を通して)お話しますよ。