明鏡塾を起ち上げた理由とは?

40年程前、大阪北浜で武道の道場を開いた。
そこに求めたのは「本気」である。
おかげで、全員生傷が絶えなかった。
痛みの為に稽古が出来なくなった。

そんな時、ふと「私にどこが痛いのか言ってごらん」と口から出た。
弟子の一人が笑いながら「胸が痛い」と言った。

「もっと真剣に」と促し、何度か私に向かって口にした。
「あれっ、先生痛みが取れました」

私が「関係性」という目に見えないものを発見し、重要視するようになった入り口である。

人との関係には三つの共通点がある

医療であれ治療であれ、介護・看護であれ、そして、武道であっても、そこには共通点が三つあります。

一つは、人との相互関係(無意識的な)。
一つは、言葉や接触を通しての、直接的な関係
です。

つまり、どういった技術を使うかを抜きにして、実際的に直接作用する「関係」という、目には直接見えないものがあるということです。

もちろん、これは日常でも同じです。そして、もう一つ絶対に外してはいけない要素があります。

それは、人はみんな違う、つまり、人には個人差個体差があるということです。

例えば、武道で言えば、刀を持ち相対したとします。そして、約束として相手は刀でこちらの胴を突くとします。その相手、AさんBさんCさんは同じ動作をしますが、それぞれの体格や運動能力、性格他諸々の要素が異なるので、決して同じ動作にはならないし、同じタイミングや力では突いてきません。

同じように、AさんBさんCさんが「腰痛」だと訴えたとしましょう。もちろん、みなさんは専門家ですから体験的に、同じではないと知っているでしょう。この、それぞれが異なる、という点が、同じ治療をしても、結果を確かなものにしません。

実は、この個人差個体差があるからこそ、治療の鍵を握っているのは、患者さん利用者さんとの関係性なのです。
ですからAさんBさんは治らなかったがCさんは治った。
あるいは、Aさんは治ったが、B,Cさんは治らなかった、また、全員治った事もある、という確実性の無い結果を生んでいるのです。

これらは、無意識の内に相性が良かった、悪かった、苦手な人だというような、こちら側の持つ先入観や固定観念、あるいは、好き嫌いという趣向が、大きな原因となっている可能性もあります。それぞれの皆さんの現場は、常にこのような状態です。

では、今よりも良い結果、より100%に近い結果を生み出し、患者さんから感謝してもらえるようになるには、どうすれば良いのか。

自分自身の技術の問題は別にして、上記の三つの問題、

一つは、人の相互関係
一つは、言葉や接触を通しての、直接的な関係。
一つは、人はそれぞれに皆違う。

これらに着目し、それを乗り越えていけば良い、ということになります。但し、ここが問題です。この3つの問題は、試験の問題ではありません。つまり、症状や原因があらかじめ決まったものではないのです。それぞれがそれぞれによって変化します。

ですから、自分自身がこの3つの問題を、何時も頭の片隅に置いておき、常に検証する必要があるのです。そのことで、何時も自分自身を検証したり、工夫をするようになります。

つまり、この3つの問題を乗り越えるというのは、自分自身を成長させるという事に繋がり、それ自体が問題を解消するのです。そしてその事が、あなたの望む結果を生み出すことになるのです。

本気の人を助けるには、本気以外には無いと思いませんか?

​北浜で道場を開き、そこで求めたのは「本気」だと言いました。本気であるからこそ、様々な感覚が覚醒し、判断を超えて自分自身を護るし、結果として相手と関係が出来てしまうのです。

自分自身に「本気」で向き合って欲しいのです。
本気は相手のこころと「響感」を生みだします

​また、私は縁あって難病や末期症状の人達と関わるようになりました。
重度の身体に障害を持つ人や、精神的な病気の人、また、スポーツでの怪我や正体不明の病気の方。
もちろん、私は治療家ではありませんから治療技術は持っていません。

できることは、「本気で向かい合う」ただそれだけです。

​そこで、何が起こっているのかは分かりません。しかし、考えてみて下さい。皆さんが相手をする人達は、「本気で治りたい」、あるいは「回復したい」、また、「社会復帰したい」と願っているのです。

その本気の人を助けるには、本気以外には無いと思いませんか

みなさんは非常に尊い職業を選んだのです。であれば、尊い自分自身になって欲しいのです。それは、関係性の扉、感覚の扉を開かなければなりません。その扉を開くのは、あなた自身であって、私や方法や技術ではありません。

​その手助けをするのが「明鏡塾」なのです。

大切なのは「本気・響感」です。
その事が、多くの人の救いになるのです。
患者さんの役に立つ、そのものです。
そんな自分を作って欲しい、そんな治療家になって欲しい。
その願いが、「明鏡塾」を起ち上げた動機です。
その「本気・響感」が、将来の医療従事者の基本的姿勢になることを願っています。