つれづれなるままに

お知らせ
自由に生きると迷子になることもある

この76歳まで生きていると、自分で自分の居る地点が分からなくなる。会社勤めをしていたり、店舗でもかまえて商売をしていれば、まず迷子になる事は無い。 思い付きだけで生きているからこその迷子なのだ。 今日、羽田から東急に乗っ […]

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お知らせ
大阪ワークショップお疲れさまでした!次は、、

大阪ワークショップが終わり、熊野道場に戻っている。 沢を登り水を出しに行くと、思いのほか水が少なくて驚いた。冬の雨が少ない時期位だ。 日本列島大雨被害が出ているのに、この辺りは穴が空いているのだろうか。水が少ない分、作業 […]

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つれづれなるままに
頭の中は複雑だ、だから自分の頭に騙されないように

例えば、道場で私が手本を見せるとする。もちろん、その後は、自分が見た動きや形を行う事になる。 「何を見たのか」「どう取り組むのか」なのだが、まずはそのままだ。 そのままというのは、見たままであり、自分自身の解釈や自分の身 […]

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つれづれなるままに
ジミヘンは言った

ジミー・ヘンドリックスの名言で、曰く「ブルースを弾くのは簡単だ。だが感じるのは難しい」だ。思わず、それこそ膝を打った。 ジミヘンがそう言葉にしたのは、最初からそうだったのか、あるいはロックの中である程度育ってからだったの […]

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お知らせ
そうは簡単に思う様にはならない

書泉でのサイン会というか茶話会のような催しを終えた。 「武禅」を受講してくれた人が3人来てくれていた。おかげで、バラエティに富んだ話しが出来た。 しかし、宣伝というか呼びかけの時間や、呼びかけそのものが少なく、折角の機会 […]

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つれづれなるままに
今日は端午の節句

今日は「端午の節句」子供の頃、近所の豪邸に住む友達の家でよく遊んだ。池や手入れされた庭があり、子供にとってはうってつけの遊び場だった。 5月に入ると、本物の鎧や兜が飾られ、大きな鯉登が庭の柱に上がっていたのを思い出す。 […]

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つれづれなるままに
フジ子・ヘミングさん、ご冥福をお祈りします。

フジ子・ヘミングさんがお亡くなりになった。ご冥福をお祈りします。 コンサートは何度か聴きに行った。 演奏を聴いて改めて教えて貰った事が二つ有った。 一つは「楽器を奏でることで音楽が湧き上がる」という事、一つは「演奏の音楽 […]

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つれづれなるままに
身の程を知っているのか?

「手応えがあった」あるいは「手応えがなかった」そんな言葉をよく耳にする。「明鏡塾」でだ。 私自身がその「手応えがある」だの無いだのという言葉を持っていないので、その言を使っている意味も使い方も分からなかった。もちろん、分 […]

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スポーツ
力が抜けるのは、関係を理解できるからもある

先日は久しぶりに、肘打ちの準備体操をやった。正確には肘打ち3連打になるか。40年ほど前に開発したトレーニング法だ。 これで、とにかく鳩尾から上の上半身を柔らかく使う事を知る。そして使えるようになる。 もちろん、このままで […]

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つれづれなるままに
あの時は熱く、誰もが生きていた

大阪のワークショップでの質問で「今迄生きて来た中で、今が一番だと思いますが、強いて上げるとしたら何時の時期が良かったですか?」と問われた。 おっしゃるように、何がどうなっていても「今が一番」だ。その時間を対処している私を […]

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