もう1週間すぎたわ
年が明けもう1週間が経った。
何もしてなくても、時間だけは過ぎて行く。
勝手にやっとけ、だ。
ふと「そういえば、あいつはどうしているのだろうか?」と思う事がある。
何十年も会っていない奴だったり、それほど関わっている時間が無くても印象に残っている奴、色々だ。
中学生の頃「親友」なる言葉に何故か憧れた。
そう言えば「お前は親友や」と言い合った奴がいた。
お互いに私生児だったからかもしれないが。
知らない間に、その「親友」なる友と会わなくなった。
それは、私の職場環境、生活環境が変わり、持っている価値観が変わってしまったからだ。
という具合に、住む世界を変えると何もかもが変わる。
付き合う人も変わる。
でも、逆に住む世界がいくら変わっても、まったく変わらない人もいる。
もちろん、「どちらがどう?」という問題ではないし答えを求めるべき課題でもない。
そこはもうすんでしまった、何も無く記憶にしか無いからだ。
私の「上着が変わっただけ」だ。
こんな問題の時「どちらが」という考え方を持つ人がいるが、それは間違いだ。
それこそ、自分の首を絞める、自分を追い込んでしまう考え方だからだ。
自分を追い込むのが好きな人は、こういった「どちらが」という比較するという考え方の使い方を間違っている事が多い。
「上着が変わった」のは、興味や必然が移ったからだ。
そこに意味は無い。
「どうしてドラムを選んだのですか?」と聞かれる事がある。
それを聞いてその人はどうするのだろう?
そこから何かを盗めるのか、何かのヒントになるのか?
もちろん、どうでもよい酒の肴でも良い。
ただ、その場合は、それを肴にして盛り上げられるのであれば、という但し書きは付くが。
意味もなく、用も無く質問をする人は、一体何なのだろうと思う。
ドラムを選んだのは、ストレートジーンからパンタロンに変わっただけだ。
JUNからROPEだ。
しかし、どうして「ふと」という現象があるのだろう?
私の深いところで「あいつ」を思い出したのか?
しかし、その中学生時代の「親友」というのは、どんな幻想なのだろうと思う。
もちろん、「親友とは」なんて考えた事もない。
ただ、チャラチャラと使っていただけだ。
そして、そいつから言われた言葉だ。
そいつに言われたから「こいつ何を言うてんねん」と思い、「それってどういう事?」となっただけだ。
意味とは関係なく、私はそれを押し付けられている感じがして「こいつはアホか」と決め込んだ事があった。
それから、そいつとは関係なく、私はジャズの世界に移った。
それで疎遠になっていっただけだ。
そんな事が始終起こるのが人生だ。
もちろん、この年になって来ると、住んでいる世界も殆ど決まっているから、狭くはなってもさほど広がりは無い。
それは、きっと問題だから、広がりだけは持たせておこうと思う。
ワークショップや明鏡塾、武道の教室は、知らない人との出会いがあるので重要なのだ。