ワークショップお疲れさまでした‼
2024最後の東京ワークショップは昨日終わった。
参加してくれた皆さん、ありがとうございました。
どういう事か、今回は全コマ満席になり少々動きづらいコマもありました。
また、初めての方も多くいた事も、動きづらい一因だと思うが、こればかりは仕方がありません。
ワークは、何時もよりゆっくりと進んだつもりだが、どうだっただろうか?
最終日の関係塾は「何これ?」「ええ~」と、初めての人は驚くことばかりの「関係」だっただろう、という感じだった。
神田道場最後のワークショップは、盛り上がりの中終わった。
「次は、いつもは6月ですが、」と聞かれるが、次の道場も、もし道場が狭ければワークショップは出来ないので、どこかを借りる事になるので、それこそ決められない。
フランスから3日間来てくれていた人達も、「次は?」と聞いていたが、とりあえず4月にはパリに行くので、そちらで会おう、という事にした。
アメリカからは自然公園で働いている日本人が、何を思ったのか3日間参加してくれた。
日本では、東北から関西まで、結構幅の広い地域からの参加者には有難い事だと感謝だ。
コミュニケーションという言葉は、完全に定着しているが、そこで行われているのは、ただの意味伝達でしかない。
もちろん、広義にはそれもコミュニケーションだろうが、私の言うそれではない。
私は、何時も書いているように、赤ちゃんが欲求を伝える鳴き声、動物の鳴き声や吠える声、その状態が基本的なコミュニケーションだとしているのだ。
意味・理解ではなく、気持ちから届く・気持ちが響く状態、それをコミュニケーションと呼んでいるのだ。
そこを知って貰う為に、そこを体感するのが、私のワークショップのメインだ。
ワークショップは例によって「何か質問は?」から始まる。
これも例によって、殆ど質問が無い。
2日目だったか、珍しく質問があった。
若い人が難しい言葉を駆使して話す。
その一つずつの言葉が私には理解出来ないので、私がその言葉の意味や使い方を質問する。
そうすると、しどろもどろになか、言葉が止まってしまう。
「どうして?」自分が他人に話しているのに、その話を質問されたら、答えられない?
自分が何を話しているのか分からない?
それこそ、私には理解出来ない。
その日、終わってからの飲み会で、「明鏡塾」に来る鍼灸師が、「若い人の話をきちんと聞いて、深く答えたら若い人には理解出来ないですよ。良い体験ですけどね」等とような話で盛り上がった。
胸骨操作から全身の連動へ。
相手の流れに乗る。
そして正面向かい合って声や気持ちを届ける。
そしてメインになるのが、「応援という気持ち」が本当に力を出す原因にもなる、を体験した。
若い女性が、大きな男性2人に腕を掴まれた所からの脱出だ。
まず無理だ。
しかし、3人4人と応援の数が増えて来ると力も増す。
「ナマムギ生米ナマタマゴ」が不可能を可能にするのだ。
人生で一番必要な事だ。