感情は合理的ではない?一体どんな頭?
ふと思う。
どんな事でも自分に合ったやり方があり、それは他のどんな方法よりも上手く行くものだと。
もちろん、そこには自分で方法を見つけられる能力が育っていなければならない。
人生を渡る上で大事な能力は、これに尽きるからだ。
にも拘らず、自分以外のやり方に目が行きがちだ。
もちろん、私はそうだ。
ただ、それは「自分との比較の為」だ。
世の中は「比較は罪」のようになっており、それを忠実に守って生きる人もいるし、自分の価値観を「比較は罪」と変えてしまっている人もいるのだろうと思う。
比較は成長の為の大切なツールの一つなのに。
先日も、とんでもない発言を聞いた。
「制度を作って守れ」という発言だ。
何の話かというと、老々介護やそれに類似する介護で、介護疲れで事件が起こる事があり、この発言もその関連の事件でのものだ。
どうとんでもないのか?
「人を労わる事を制度化しろ」というものだ。
何から何まで政府に、あるいは制度や法律に委ねる。
それって、それこそやばくないか?
制度が守ってくれる筈も、法律が守ってくれる筈も無いのに、制度や法律が出来たら安心する、なんで?
制度や法律が、火事から守ってくれるのか?強盗から、事故から、そんなものくその役にも立たないだろう。
それこそ抑止力効果を出すなら、もっと極刑を増やし罰金刑の額をアメリカ並みにしなければ、その効果はでない。
しかし、現実を見ていると、「人を労わる事を制度化しろ」でないと日本人は駄目かもしれない、とも思う。
つい先日も妻を駅まで送っていき、その帰り道、何がどうなった?一瞬訳が分からない光景を目にした。
私よりは若いが年配の方が、歩道から車道の方に転げているのだ。
変な姿勢だったので転げているという事が分からなかった。
じっとしているので「これはやばいのかも」と思い「大丈夫ですか?」と声を掛けた。
何と、転げた男性を気遣ったのは、私と外国の人数人で、日本人は知らん顔をして何人も行き過ぎて行った。
これが間違いなく、日本の東京の下町の浅草界隈だから「ええええ~」なのだ。
「制度化しろ」というのも、腹が立つが実は頷けるのだ。
理屈だけで生きている人が増えて来て、人情や気持ちというものを「合理的ではない」という言葉で片付ける人が増えて来ている。
それは自らが自らをロボット化していることだと気付かないのだろうか?
人情や気持ちだけしか「関係」を実体化出来ないのに。
「感情」が関係を実体化する実際は「武禅一の行」で体感出来ますよ。
110回「武禅一の行」は、5月3.4.5日です。
沖縄ワークショップは5月30.31.6月1日、
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