それは突然に
武神館初見宗家の持つ九つの流派は、そのまま九人の大師範で流派別に分けられた。
それは、時代的に一人で九つの流派を継承する事が難しいからだそうだ。
そういえば、20年ほど前になるか、友人がある流派の中の一つの流派を継がされたと言っていた事があった。
理由は同じで、一人で継ぐことは不可能だという事だ。
当人も、一つでも無理かもしれん、と笑っていた。
私は、初見宗家に興味を持ち「達人と達人の技」の解明をしたくて記事を書き、その事で懇意にしていただいた。
武神館で行われる、初見宗家の誕生日を祝う「大光明祭」や、海外での大会に参加させて貰っていた。
そんな中で、石塚師範とも同い年という事もあり、親しくさせて頂いた。
その昔の武神館の稽古法や、初見宗家とのエピソードを沢山聞かせて頂いた。
それは、一つに石塚師範はギターを弾いておられた事。
また、その時代の歌手(懐メロ)たちの伴奏を私は仕事でやっていた事も原因する。
よく、そんな話題で初見宗家や石塚師範と談笑したものだ。
石塚師範とは、ここ数年お会いしていなかったので病気の事も知らなかった。
もちろん、武神館の部外者なので知る筈も無いが。
以前にも書いた事があるが、当人やその周辺の身近な人、事情を知る人にとっては、夏の夕日が沈むように静かにじっくりと時間が過ぎて行くが、部外者にとっては突然なのだ。
先日も、友人にそんな話をしていた事もあり、石塚師範の死は色々な意味で実感を伴う。
ご冥福をお祈りします。