ただただそこに、という心境を持った女性
どうすればそれになるのか。
言葉で説明してくれーという思いになる。
そんなことじゃないんだ。
わかってる。
でもわからない。
そんなことの繰り返しで、でも、最後、私の中では奇跡がおこる。
実体験、実感する、共鳴する。
そんな時間は、時間の流れすらなく、ただただそこに。
これは、先日の福岡ワークショップを受講してくれていた女性の感想である。
これは「関係」という状態になれた一幕だ。
福岡のワークショップであれ、大阪、東京、何処のワークショップやセミナー、「武禅」には、色々な人が参加する。
自分自身の目的が明確な人、野次馬的な人もいるし、意味不明で来ている人もいる。
無意識的に場をかき回す人もいる。
その意味で、こういった集まりは社会の縮図だとも私は言う。
つまり、気に入る人も気に入らない人もいるという事だ。
その社会で一番難しいとされるのは、人間関係だ。
だが、実際のところそう難しい問題ではない。
難しいと感じているのは、自分自身の癖そのもので、他人と対応しているからだ。
つまり、好き嫌いだけで対応しているからで、本当の意味では「対応していない」のだ。
相手と真正面から向かい合い、会話をする。
この真正面というのは、自分自身の意思が相手に真正面ということで、物理的な正面だけを指すものでは無い。
「正面向かい合い」は「武禅一の行」でのテーマだ。
お互いの意思が向かい合うと、そこにそれよりも深い意思を感じ取れるようになる。
それはまた、動物的な反応でもある。
そこに来て初めて、自分自身の「判断」の枠を超えて「関係」という世界を体感でき、それを「関係」だと私は定義している。
人にもよるが、感性の鋭い女性同士が組んで稽古をしていると「どうすればそれになるのか。
言葉で説明してくれーという思いになる。
そんなことじゃないんだ。
わかってる。
でもわからない。
そんなことの繰り返しで、でも、最後、私の中では奇跡がおこる。
実体験、実感する、共鳴する。
そんな時間は、時間の流れすらなく、ただただそこに。」
この女性は、この日の3コマ(6時間)で、その事を体感できる最高の時間を持てたのだ。
もちろん、この体験を元に自分自身の価値観を変えたり気付いたりする。
それは、過去の自分に対する挑戦である。