自分「らしく」より、一流「らしく」が良い
先日、文科省スポーツ庁の室伏長官と対談した。
何といってもオリンピックの金メダルであり、それもハンマー投げだ。
ハンマー投げと言うと、私から見ればほんとに巨人のような人達ばかりだ。
室伏選手は、大きいがそんな巨人のような人達の中に入ると、普通の体格に見えてしまうから面白い。
そういった体格差がある中での競技だから、どれほど工夫をしたのか計り知れない。
だいぶ前のTVで「筋肉番付け」という番組があり、圧巻の何でも一位だった程、身体能力は高いのだ。
そういうスペシャリストとの対談程興味深いものはない。
一口に「身体運動」や「肩甲骨を柔らかく」と言っても、そこに共通項を見出すのは難しい。
もちろん、身体部位としての肩甲骨や、文字通りの身体運動は共有できるが、それが一たび内容へ入ると共有は難しいのだ。
どのレベルでの運動なのか、どのレベルでの柔らかさなのか。
もちろん、巷の人達との会話ではそれほど難儀はしないが、オリンピックの金メダリストとなると、そういう訳にはいかない。
恐ろしく集中し、その言葉と同時に起こっている室伏長官の身体の反応を観察しなければいけないからだ。
「ああ、分かりました」という話ではない。
内容も何もかもが深いからだ。
その集中しなければいけない時間が、何とも心地よいのだ。
それこそ「幸せ」の一瞬だ。
どんな事でも一流の人との会話は興味深いものだ。
自分の知らない世界を知る事が出来るし、何かしら触発される事があるからだ。
一流の人の入り口は、やはり一流だ。
それこそが「自分らしく」なのだ。
一流の人は一流の人らしく努力をし工夫を研鑽しているのだ。
私は、そういう「らしく」をらしくだと思っている。
そこに行かなければ絶対に見る事の出来ない世界。
そんな話が飛び交うのが、私のワークショップである。
1月31日から2月2日は新春大阪ワークショップは阪神野田の近くです。
