「つもり」は夢遊状態ということやで
自分で自分を分からなくさせているのは、何時も書いているように「自分が使っている言葉」だ。
その使っている言葉を自分として検証もしないからだ。
感じている・思っている・つもり等々の言葉を使ってはいけない、ということではなく、それが「その事」をボヤかしている場合も多々あるという事だ。
それに気付くのは、会話をしている時だ。
「これはやれていないけど、どうしてる?」「え~やれてないですか、自分ではやっている『つもり』なのですが」と、「つもりだった」と言葉が出る。
「つもりやろ、つもりは、想像しているだけで実際にやっているのではないで」「そうなんですか」という会話になる。
特にワークショップは、一般の方の参加が多いので、こういう話に直ぐになる。
極端な云い方をすれば「つもり」とは「夢や想像」だ。
つまり、現実と乖離している状態だ。
「つもり」を行為している時、と云えば、おそろしく変な日本語だが、その人が何か行為を行っている時、「つもり」だったとすると、その行為をしていた時間は「夢の中」、極端に云えば夢遊状態だ。
その場にはいないし、自分自身が夢遊状態なのだから、何をしているのかも分からない時間だ。無茶苦茶面白い現象だ。
だから、その夢遊状態で行っていた間違いを修正する事は出来ないのだ。
起きている今、夢の中に入って行けないのと同じだ。
「それはねじれていないですよ、あなたの身体なのですよ」
「はい、ねじれていると思っていました」
「ええ~~~、自分の身体がねじれているのか、そうでないのかを分からないのですか?あなたは今眠っていましたか?」
会場は大爆笑だ。
大阪来月の講習会は7月16日大阪道場
夏の大阪ワークショップ8月1.2.3日北区中崎町傍島ビル



