大阪ワークショップはがら空きですよ!
熊野に帰ると、何時ものことながら一番最初は水の確認だ。
昨年からずっと晴れが続くおかしな天気が続いている。
だから、今年も不安になる。
確か、今年に入ってから一度か二度くらいしか雨が降っていない。
311号の横を流れる富田川と共に上がって来て、栗栖川になる少し手前に滝尻王子がある。
ここの横が門谷砂防堰堤だ。
東日本大震災の年、紀伊半島も大災害があった。
大雨が続き新宮側の熊野川が決壊し、十津川村から本宮、そして熊野川領域が水没したのだ。
未だに復旧していない地域が残っている。
この門谷砂防堰堤は、山が崩れ村が飲み込まれてしまった痕跡だ。
熊野に戻る時、堤をいつも眺めて「水の量」を知るのだ。
国道311号も、ここで不自然なカーブや隆起を描く。
それは、その崩れた土砂の整理がつかなくて、土砂を均してそのまま新たに道路にしたからだ。
今回の堤は完全に枯れていた。
だから、当然水源は空っぽなのだろうと思っていたが、ところがどっこい道場の水は少ないながらも出ていた。
これは嬉しい。
この時期、いくら水源に上がっても水源からのパイプが長いので、途中で凍ってしまうかもしれない。
そうなると、手を付けられないので、春が来て氷が溶けるまで放っておく事がある。
雨の多い時を除いて、今回の1月末の熊野道場に水が有るのは奇跡なのだ。
ところで、この新春の大阪ワークショップの集まりが、どういう訳か相当悪い。
もちろん、これも自然と同じで沢山集まる時もあれば、少ない時もある「水物」だ。
だから、一般的の大方の場合、少しでも計算の出来る「取り込む」という手法を取る。
グループ化するのだ。
ポイントが貯まったり、特典の有無を餌にするやり方だ。
もちろん、それは違法でも何でもなく選択するのはユーザーの自由だ。
また、何かしらの特権意識をもたらす場合もある。
人は、基本的に群れで生活をする動物だから「属する」だったり、「依存」だったりは、どれもこれも理屈にあっている。
この「水物」の受講してくれる人の話は別として、ワークショップは1コマ目は「身体塾」になる。
これは、先日のスポーツ庁室伏長官との対談でも出た「身体を知る」が大きなテーマとしてある。
「知る」と言えば、大方の人は客観的認識だと思う人が多いし、「体感として知る」と指図をしても、結局は客観的認識しかしていない場合が殆どだ。
それは、その事をさほど大事な事だと思っていないからだ。
もしも、本当に「その事(身体を知る事)」を大事だと思っていないとしたら、それは自分自身を知らなくても良い、自分自身が何かしらの行為や行動をした時、的確な身体操作が出来なくても良い、という事になってしまうのだ。
もちろん、そんな大事な事だとは知らない。
そんな事を知らなくても楽しみで、ゴルフや水泳が出来ているし日常を送っているので良いと思っているだろうと思う。
また、「人間関係」も適当にうまくやれているから良い、と思っているだろう。
でも、本当に自分の伝えたいことが相手に伝わっていなくても良いのか?
そんな事を知る為のワークショップなのです。
1月31日から2月2日は新春大阪ワークショップは阪神野田の近くです。
