大阪ワークショップは終わりました‼ありがとう‼
大阪ワークショップに妻が行くのか行かないのか?ギリギリまで思案した。
手術から退院まで約2週間。
その間、リハビリは1日1時間程度だ。
もちろん、術後なので無理は出来ないからだ。
つまり、寝たきり状態より少しマシ、という状態だ。
そして、退院したが、部屋の中で杖の使い方や歩行を試していた。
それだけの動きしかしていないのに、飛行機に乗りホテルに着き、会場まで歩けるのか?という現実的な問題だ。
受付を誰かに受付を頼むかどうか、そこを悩んでいたのだ。
何よりも、この時期の無理が今後の人生に負担が出ないかどうかだ。
なんだかんだで、「あかんかったら、誰かに頼もう」で決行した。
そうすると、案ずるよりも産むが易しで、ホテルから会場までの700mを往復できた。
もちろん、亀の歩みの如しだが。
リハビリとしての1歩は、大成功だ。
ジムやセンターで動くより、現実世界を動きアクシデントに対応する事の方が効率的なのだ。
何よりも、現実の物事に対する気持ちが即応する事が、一番のリハビリになるからだ。
大阪ワークショップは、何時もよりも2割から3割は少ない人数だった。
その事については色々あるが、ワークショップそのものは相当面白く充実した時間になった。
一つ不思議だったのは、最終の日曜日は、少なくなるのだが、最近は人数が増えている事が多いのだ。
もちろん、「どうして?」なのかどうかは分からない。
そんな事を結果論として考えたところで意味は無い。
2日目に古くからワークショップを受けてくれているダンスの先生が、久しぶりに丸1日受講した。
その感想の一部に【~~今になって思い返すと、先生だけが目の前に居て、周りの景色が消えたような。激しくも荒くもなく、鷲掴みにされた、そんな感覚。先生からの終わりじゃ!で、目から雫がぼろぼろ落ちた。溢れた。第1回目のWS、同じく向かい合って早口言葉をひたすら相手に言い合う中、相方だった彼と2人大泣きしたことを思い出した。弱いのは何だ。「関心」か。~~】と書かれていた。
これは「関係」というテーマでのワークでの事だ。
「関係」など、どこにでも転がっている言葉だし、誰もが無条件で出来ている、あるいは、出来ると思い込んでいる事だ。
しかし、厳密には全く的外れな状態だ。
誰もが動物のように本能的な関係が出来ないのだ。
本能的な関係とは何か?を言語化されていないが、動物を見れば一目瞭然だ。
動物達、特に野生の動物は優れている。
当たり前だが、そこが働いていなければ生きて行けないからだ。
引用したダンスの先生の言葉に「関心か」とある。
そこが一番の肝だ。
自分を取り巻く全ての事象に関心が無ければ、野生の動物なら死が待っているからだ。
私達人間は、産業革命以降工業の発達から、様々な発達が生活を便利にしてくれている。
確かにそうだ。
だが、便利というのは常に人の何かの能力を退化させていく、つまり、その能力は不必要になっていくから退化していく、失って行ってるのだ。
しかし、いくら生活が便利になろうが、私達人間の細胞の数や組織等々は、何千年か万年か知らないが何も変わっていないのだ。
だから、動物と同じ様に子供の本能の叫びを聞き分け、他者を選り分けられるのだ。
だが、その生きる上で大事な能力すら失われてしまっている。
全てを「言葉や表面的な装飾」に委ねていて、「自分で」が無くなってしまっているのだ。
人間性を取り戻す事、そこを何とかしたい一心が「武禅一の行」であり「ワークショップ」の開催なのです。



