季節は消えた?
今日は七夕だ。
しかし、不思議な事に四季としての暑さは感じない。
ただ熱いだけだ。
それは東京だからそう感じるのかもしれないがそんな事は無い。
私が四季を感じなくなった、というのは、今に始まった事ではないからだ。
何時からかハッキリとは思い出さないが、ここ15.6年前か20年前頃、いやもっと前からかもしれない。
大阪の真ん中でも聞こえた、夏に付き物のアブラゼミの声や、虫の音、街のアチコチにあった七夕の笹。
そういった、時間が消えていってる関係だ。
正月の門松やしめ縄他のお飾り、国旗の掲揚。例えば3の付く日の夜店は5の付く日はドコソコへと足を運び、それこそ探検したものだ。
もちろん、祭りも規模が小さくなり、そういった、風情が消えてしまった。
そんな諸々が季節感を薄くし、無くなっていく方向に歩いているのだと思う。
10数年前、沖縄でワークショップの日、丁度お盆の最後の日でエイサーが行われていた。
しかし、沖縄に移住してきた本土の人達の中で、その祭りをうるさいとクレームが付き、中止になっていった地域もあるという。
公園で遊ぶ子供の声をうるさいとクレームをつけ、子供を遊ばさないようにした公園もある。
何もかもが、そっちの方向、つまり、ごく少数の人のクレームでも、それを話合うのではなく無条件で受け入れ止めてしまうのだ。
もしかしたら、そのクレームは誰が付けたのか?と突っ込めば、意外とでっち上げかも知れないとも思う。
面倒だからイベントはやめよう、こんなことに何の価値が有るのか、という人達が仕組んでいるのかもしれない、とも思う。
その意味では、ほんとくだらない国に落ちぶれて行っている。
今、少し興味があるのは、明治維新から第二次大戦迄の日本の状態だ。
やれ軍事国家、だの富国強兵でやたらと兵隊さんを増やした等、イメージは垂れ流されているが、実際、どんな教育が行われていたのか、庶民はどんな事を考え、どんな日常をおくっていたのかを知りたいのだ。
どうも、この間がすっぽり抜け落ちていて、私の中で歴史が繋がらないのだ。
曾祖母は明治14年生まれ、叔母は明治40年生まれ、母は大正14年と歴史を生きて来ていたのだが、私が子供だったので、思い出すしかその時代の痕跡を見つけることができないのだ。
ただ、私が中学1年生の時、他の中学生と喧嘩になった事がある。
こちらは2人、一つ年上の中2と中1の私。
相手は何年生かはわからないが7人だ。
その時、ボコボコにやられ、上半身血まみれで家に帰った。
一応曾祖母は、「どうしたんや、それ」と聞いたから「階段から落ちた」というと「そうか」で終わった。
母は、私が10代の頃、その筋の人達に家の前から車に詰め込まれかけた時、「行っといで」と私を送り出した。
とにかく、私とは根性というか肝っ玉と言うか、内的な何かが全く違うのだけは分かる。
だから、「なんでや」と知りたかったのだ。
夏の大阪ワークショップ8月1.2.3日北区中崎町傍島ビル



