定型の答えが無いのが人間関係だ!
昨日第111回武禅一の行・埼玉を終えた。
当たり前だが宿泊所は食事時間が決まっている。
もちろん、それを承知で場所を借りているのだから文句はない。
ただ、その食事時間を中心に予定を考えなければならないのがややこしいのだ。
講座は、学校の授業や、色んな研修のように「答えありき」のものではない。
だから、ある意味で予定はたたないのだ。
全体の消化・理解状態・体感・取り組み状態に合わせ、その場でメソッドを考えたりするからだ。
そんなギチギチの時間の中でも
「大切な人を想う、目の前の人の事をしっかり想いながら伝えているか。そう考えると、私はその関係性がとても希薄なんだと思います。相手がいて自分がいる、という当たり前の人間関係が、自分しかいない状態になっている事に気付かされました」
「写真を見る限りもっともっとイケるな!色々と雑だな!まだ出してないな!というのが印象です。武禅終了してからが、本番!!成長に貪欲に生きていきます。」
他の地に足が着いたレポートが上がっている。
つまり、自分に対する気付きや、気付いた行動指針他を全員が持ち帰ったのだ。
その意味では、もしかしたら今回の受講者の人数が、こういった新しい場では良いのかもしれない。
となると、次回からの道場以外の開催では、この少人数を定員にしようかと思った。
もちろん、少人数の方が目が届くから、という事もあるが。
回を重ねる毎に増えて来る質問がある。
それは「どうすれば?」という方法を知りたがる事だ。
今回はその典型的な質問を受けた。
「声が届かないが、どうすれば届くのか?」だ。
私は思わず「????」になり、「武禅を111回やっているけど、そんな質問されたのは初めてやで。それを工夫するのが『武禅』だし稽古やんけ」と。
つまり、その事をせずに「出来る方法を知りたい」のだ。
つまりつまり、出来る方法を知れば出来る、と信じているという事だから、それでは「その方法」は何の為にあるのか?だ。
この場合の「その事」という方法を駆使しようとしているのは、「相手の人に声を届ける」だから、自分の相手の人と真剣に、あるいは一生懸命に話をし、この事を伝えたいな、という「自分自身の気持ちや思いを相手に届ける事」だ。
そういう説明をすると、もしかしたら相手に「私の気持ちを受け取って下さい、と言いました」と声を出して話すかもしれない??
だから、先に書いた「自分しかいない状態で生きている」ということになるのだ。
そんな解析は懇親会や、レポートを書く合間に質問タイムに行う。
何れにしても、少し肌寒かった秩父の山での「111回武禅一の行」は終わった。
来年はどこで?
12月5.6.7日は東京ワークショップです。
場所は「新木場」のBumb東京スポーツ文化館(アクターズスタジオ)です。
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