脳みそに振り回されるなよ
「これはどうなっているのだろう」私の口癖であり、思考の癖だ。
この言葉を持ち、興味を持てる事なら徹底的に突っこんでいく。
突っこんでいくというのは分析したり、推測したりという事だ。
今になって思えば、この構造を私自身が持っているから、新しい事、知らない事に挑戦し続けられているのだと思う。
「明鏡塾」や、ワークショップに道場等で多くの人を見ているが、どうもそこが浅いか希薄、あるいは、持っていない感じがする人が大半だ。
もちろん、ここはその人の自由だ。
自分のモノにしたい人、その時だけ楽しければ良い人。
それらは本当に自由だ。
ただ、「自分のものにしたい」と思っている人、口に出している人を見ていて、その取り組み方では出来る筈はないと見えるから、今汗を流して楽しめたら良い、なのだろうと思ってしまう。
それこそ「なんで?」になるのだ。
それぞれの「そのものに対する突っ込みの無さ」が、私には違和感として写るのだ。
それは、「そのもの」を題材にして、自分自身を変化させたり成長させたりすること、それが新しい事への挑戦の意味であり価値だからだ。
「これはどうなっているのだろう?」の目が養われて来るのには時間がかかる。
私は中学の時にそれが培われていたのだと、50歳代になって気付いた。
子供の頃に何かに熱中する事の大事さ、あるいは、ちゃんとした事を学んでおく大事さは、その年齢になる迄見えて来ないのではないかと思った。
「どうなっているのだろう?」が無いというのは、単純に汗をかいているだけ、時間を潰しているだけ、脳みそを満足させているだけだ。
脳みそを満足させても、自分自身は何もできるようになっていないという事を知れ!
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