力が抜けるのは、関係を理解できるからもある
先日は久しぶりに、肘打ちの準備体操をやった。
正確には肘打ち3連打になるか。
40年ほど前に開発したトレーニング法だ。
これで、とにかく鳩尾から上の上半身を柔らかく使う事を知る。
そして使えるようになる。
もちろん、このままでも十分使い道はある。
ワークショップ等でこの運動は、一番多くの人に伝えたのではないかと思う。
でも、誰も使っていない。
という実際と言うか現実は一体何なのだろうと思う。
ま、他人の事はさておき、久しぶりの肘の操作は、やはりバキバキになる。
ミットを持たせ、軽く軽く当てると持っている師範代の腰が砕けた。
威力は前よりもある。
「どうして?」
上手く生きれば年齢と共に力みが無くなるからだ。
この運動は、たまに皆にやらそうと思った。
もちろん、私がやって来た数から行けば、万分の一くらいにしかならないだろうが、やらないよりはましだからだ。
というようなトレーニングは数種類ある。
自分自身に定着させれば、色んな意味で身体運動の質があがるのだが。
「武禅」も結局は、そういった事、つまり、人生を歩く上で、社会を歩く上で大事な「人間関係」を、無意識レベルの反応を体感しながら覚え使えるようにするのだ。
「108回武禅一の行」行会です。残席は5席です。