会話が出来ないアナウンサー
「明鏡塾」では、施術家や医療従事者の持つ治療力やそれぞれの技術力を上げる指導をしている。
しかし、その医療従事者が学校で学んだ技術や、習得した技術を向上させる話ではない。
学校では抜け落ちている、患者さんとの「関係」を学ぶと同時に実践し身に付ける講座だ。
話は変わるが、今台風10号が上陸寸前だ。
各放送局が、これでもかというくらい同じ事を放送している。
色々な現地があるが、そこにその局の担当がいて状況を説明する。
映像をみれば、大方の事は分かるのだが、それに重ねる様にマニュアル解説をする。
「どうして?」と思うが、仕方が無い、即興力が育ってないからだ。
そのマニュアルしかできないアナウンサーだ、という認識を持たない東京や大阪の局の人が、間違って現地アナに質問したりする事が度々ある。
そうすると、会話が出来ないアナウンサーだから、別のマニュアルを読み上げたり、空白の時間を作ってしまったりしている。
何もかもが噛み合わないのだ。
マニュアルは読めるが、会話が出来ない。
「そんなばかな」だが、ワークショップや道場に来る人を見ていると、殆どの人がそれだ。
日頃「無駄話」をしていないから、当たり前だが出来ないのだ。
しかし、「無駄話」とはいうが、それは本当の意味では「無駄な話」ではない。
どちらかと言うと「無駄話」は、人生においての人との潤滑油、関係性においては一番必要な時間であり要素だ。
もう少し突っ込めば、「雑談こそが関係そのものである」と言えるだろう。
どうしてかというと、雑談以外の会話は、社会的な意味だとか、役目としての意味、何かしらの伝言、あるいは説明くらいしかないだろう。
それはAIに任せる事が出来る代物だし、人間味が何一つ要素になってくる事はない会話だ。
もちろん、ロボットのような言葉しか出せない人に「イラツク」という状態になるが。
とにかく、「雑談」が人間関係における重要な要素であることは間違いない。
それは、患者さんと医療従事者の間では、普通以上に重要になる。
それが出来ない医療従事者と、信頼を築くのは至難の業なのだ。
大阪ワークショップは初秋の9月21.22.23日