身体操作を考えたのは
合宿では連動から始めたが、これ以上ないだろう、というくらい細分化してみた。
そして、それらが、間違いなく繋がって行き、その都度「力」を出す事を確認した。
「力を出した」というのは、「体重が移動した」という事だ。
武道を探求した初めの頃、古流に残るそれぞれの「技」に魅力を感じ、ああだこうだと一人で想像していたが、ふと、全く違う手や武器を持った敵ならどう対処するのか?と疑問が湧いた。
そこから「技とは」の本質的なところを考えていったのだ。
結論を言うと、どんな状態になっても対処できること、その現場で対応出来ること、になった。
つまり、刀だけ、槍だけ、素手だけ他といったものでは無く、何を使っても使わなくても、対処対応出来るということだ。
そうなると、武器は「身体そのもの・動きそのもの」という事になり、その為にはという事で「体重」があり、その体重を「移動させる」事が力だとなったのだ。
それが決まると、であれば「身体操作」はどうすべきか?という本題に入る。
動いている形に目がつられる。
腕をどう動かした、足を、膝を、とはいうけれど、腕の「どこ?」足の「どこ?」と考えていくと、まるっきりハッキリしていない事に気付いた。
器械体操でも中学生の部活レベルの体操だから、「足を」でその動きは成立したが、武道となるとまるっきり成立しない。
成立しないというのは、例えば、その腕を自分の体格の倍ほどの人が捕まえていたとしたら、思っている動きなど出来る筈も無い。
そうであれば、その時の状況に適した動き、適した対応が出来なければいけない。
その対応出来る身体の為の、身体操作だ。
一番にハネタのは「こうしよう」という気持ちだけの動きだ。
気持ちは動きの源なのだが、その気持ちを現わす為に「どう動かすのか」がある。
だから、気持ちそのものだけで動いている動きでは、対格差を越える事は出来ないのだ。
大阪ワークショップは初秋の9月21.22.23日