大阪ワークショップお疲れさまでした!次は、、
大阪ワークショップが終わり、熊野道場に戻っている。
沢を登り水を出しに行くと、思いのほか水が少なくて驚いた。
冬の雨が少ない時期位だ。
日本列島大雨被害が出ているのに、この辺りは穴が空いているのだろうか。
水が少ない分、作業は捗った。
砂や枝が引っ掛かったものを取り除き、シャベルで砂や石をかき出す。
それだけで重労働だ。焦らないようにゆっくりとゆっくりと、だ。
次は「武禅一の行」10月12,13,14日と、約3週間後だが、ワークショップの余韻がまだ身体に残っている。
ワークショップの後は、つくづく「関係」という事の誤解や、使い慣れた言葉の誤解や行動の間違いが沢山あり過ぎるのに驚いた。
もちろん、それらをそれぞれに訂正したのだが、分かっているかどうかは別だ。
他人の話を聞けない人も多いからだ。
「聞けない」というのは、もちろん、文字通りではない。
音声として、言葉の意味としての話は理解出来るが、その事と、自分の行動や考え方と比べる事や溶け込ませる事を知らない人、出来ない人が多いのだがそれは、会話量の不足ではないかと思う。
一つの言い回しとして、思春期から成長する為の環境管理や人間関係が出来ていないからではないか、なのだ。
つまり、思春期での様々な出来事への葛藤、そこから「人生」や「私とは」を考えだし、20歳近くで「哲学」等を語り合える友を持ち語り合ったかどうかが、相当人生を左右するように感じるのだ。
そういった熱量の高い会話体験が、人生で一番大事なのではないかと思う。
自分の意見だけを話せる人はいるが、押しつけがましくて頭に来る。
そういった人は、自分の話は出来るが会話は出来ない、つまり、関係に結びつくような会話は出来ないし、そればかりかその押しつけがましさを当人は認識していないので、関係において致命傷にもなりかねないのだ。
「自分を知らない」というのは、本当に厄介なのだ。
また、時代も、もし「あなたは押しつけがましいね」と言うと、「ハラスメントだ」と言われかねないので、決して指摘をしてくれない時代になっている。
さぁ、どうする?