2023年3月
「つもり」に早く気付かなければ時間の無駄が多いままだ
身体操作ということで難しい事は色々あるが、入り口は「自分の身体を自分として動かせない」だ。 何とも不思議な言葉だが、例えば「肘がリードした腕の動き」は定番のワークだが、肝心の「肘」を自分自身が見つけ切らないところだ。もち […]
人の行為は同時進行的で立体的なものだが、言葉は平面的だから
どんな作業でも立体的、つまり、同時進行的に多様な感覚が働いていたり、行為として別々のものを働かせている。 例えば、自動車の運転であっても立体的だ。運転できる人は運転に「慣れて」しまっているので、複雑な事をしているという認 […]
特別な稽古はない、目の前の自分の課題を片付けて前に進むだけ
道場に体験に来る人や、生徒の中にも「それが出来るようになるには、何か特別な稽古をしたのか?」と質問する人がいる。 そんな時答えるのが「別段何か特別な稽古はしていないし、そんな余分な時間は無い。ただ目の前の事、その時(稽古 […]
自分を労わるというのは
「自分を労わる」のは好きだ。自分を労わる、それは次に進む事だからだ。 次に挑戦する。「今」出来ない事を出来るように、それの連続だから、私はずっと労わって生きていると思っている。 もちろん、ここで「労わる」の解釈の色々があ […]
自分の力で問題を見つけ解決する、それしかない
昨日の稽古は、久しぶりに北海道からの若者が来ていた。牛の話馬の話等、動物の話で盛り上がった。 動物に「起こり」はあるのか?というような話だ。そんな話をしていると、昔飼っていた犬を相手に「起こりを抑える」稽古をした事を思い […]
人の違いを見分けられない原因は
武道でもワークショップでも、何れにしても人へのアドバイスは難しい。AさんBさんCさん、それぞれに個人が違うからだ。 Aさんに対するアドバイス、BさんCさんへのアドバイスも全部違う。それらのアドバイスを他の人も耳にし、それ […]
3,000人もの感情の高ぶりをまともに浴びて「何も感じない」人などいるのだろうか?
もしかしたら「出来ない」と口から出るのはましなのかもしれない。何とも思わないし、感情も動かない人がいるからだ。 それは20年ほど前の「武禅」を受講する人を見ていて薄々感じていた。完全に実感したのは2004年に愚息の和太鼓 […]
その言葉を自分自身が使い続ける事で、「そんな」自分だと自己洗脳しているだけだ
一つの動きを完全に出来るまで挑戦する。スポーツなら例えば、バスケットで3点シュートが一定の場所からだと絶対に入れるようになる。 こんな事は当たり前のように練習を繰り返す。サッカーでも同じだろうと思う。入れたいし入れなけれ […]
次の事より今の事、今に全力を集中すれば次は良くなる
「次の事を考えた今の動き」になっているからだ。
今の動きで相手の次を無くしたり、相手の次が来ても今の完全な姿になっていれば対処出来るのだが、大方はそうはならなくて、「次の相手の攻撃を交わす今の動き」になり「今の動き」ではないのだ。
基本が大事だと言うが、本当に基本をやり込んでいないから、次の対処も今の対処も出来ないのだ。
一つの事を亀の歩みのようにゆっくりと堪能しなければ、身に付く事はない。
そんな事をしみじみと感じるのが、武道の稽古だ。
自分を貫いて生きる、その為には世間とは全く異なった価値観を持つ事だ
その根源は「美意識」だ。
言葉を極端に変えればスタイルになるか。
私が今日までブレていないのはこれだ。
仕事に対してとか何かに対するものは持ち合わせていない。
自分の人生は自分のものだ。
その自分に対して何を求めるのか?
そんな事は10代で決定していた。
その意味で75歳の現在でも変わっていない。