3,000人もの感情の高ぶりをまともに浴びて「何も感じない」人などいるのだろうか?
もしかしたら「出来ない」と口から出るのはましなのかもしれない。
何とも思わないし、感情も動かない人がいるからだ。
それは20年ほど前の「武禅」を受講する人を見ていて薄々感じていた。
完全に実感したのは2004年に愚息の和太鼓チームが、世界初のウクライナ全土ツアーや台湾・韓国等でのフェスティバルに招聘された時だ。
その時のメンバーの数人が「何とも思わない」部類の若者だったので驚いた。
ウクライナでは大統領の就任式典が行われる3,000人規模の会場を超満員にした。
もちろんスタンディングも半端ではなかった中で、何の感動も味わっていないのだ。
これには驚く他は無かった。
つまり、全く感情が育っていないのか、あるいは、そういった事に全く興味が無かったのかだ。
しかし、3,000人もの感情の高ぶりをまともに浴びて「何も感じない」人などいるのだろうか?とも思うが。
とにかく、このように「何の感情も動かない」人もいるのに驚いているのだ。
それって人間か?
学者は何というか知らないが、一般人としては感情が動かないのは人間ではないと思っている。
もちろん、それが何らかの病気であるなら仕方が無いが。
そんな事も含めて、「幼児期」は大事な時期だと感じる。
もしかしたら、人生はこの時期で決まるか、あるいは、ある一定の方向が決まるのではないかと思う。
もちろん、私自身の「幼児期」は全く覚えていないが、小学生の頃は断片的に覚えている。
その記憶から、現在の私を見ると私の根幹がある事に気付く。
そこから考えて見ると、いかに幼児期が大事かと思うのだ。
もちろん、それは「遊び」であり、自分で工夫をする、であり、子供達と喧嘩を普通にやる事だ。
子供の時期の喧嘩、つまり、人との対立は「自分」を作る第一歩であり、「他人」を知る一歩だからだ。
そこを知識で知るのではなく、遊びという身体を駆使して体感するというところがポイントだ。
4月28,29,30日は「武禅」です。
残り9席です、お早めにお申し込み下さい。