特別な稽古はない、目の前の自分の課題を片付けて前に進むだけ

道場に体験に来る人や、生徒の中にも「それが出来るようになるには、何か特別な稽古をしたのか?」と質問する人がいる。

そんな時答えるのが「別段何か特別な稽古はしていないし、そんな余分な時間は無い。ただ目の前の事、その時(稽古の時)自分のやっている事に疑問や問題を感じた事に対して全力で向かっているだけ。その連続が現在の私だ。」と答える。

そう答えてから振り返る事がしばしばある。
「ほんとかな?」と思うからだが、何れにしても特別な稽古はしていない筈だ。

しかし、どうして「特別な」という発想になるのだろう?
そういえば、ジャズドラマーになった当初、私のようなボーヤが集まれば「どうすれば左手がもっと動くようになるのか?」という話題で、「左手が動く薬が、100万円でも買うで」と冗談とも本気ともつかない事を言い合ったものだ。

しかし、結局は左手を「動くように訓練する」しか無いのは皆分かっていた。

だから、「どれだけ・何を」訓練したかで、その差は付いていったものだ。
その「100万円」の話には、私も「ほんとにあれば良い」と思っていたが、人よりも練習する時間を作り取り組んだ。

近道の秘訣は「何を・どれだけ」と、そこで「何に」気付くかだ。
そして「出来る迄」と「次が見つかる迄」そんな感性が創り上げるのだ。

何時もここに書いているように、そのひな形は中学生時代の器械体操を独学でやり遂げた事だ。
そこから考えると、自分で問題を見つけ、それの答えを自分自身で見つけ出す以外に、ひな形を作り出す事は出来ないのだと思う。

「武禅」4月28,29,30日です。残り5席になりました。お早めにお申込みください。

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