自分を貫いて生きる、その為には世間とは全く異なった価値観を持つ事だ

柳橋、落語や小説で知る名前だ。
春の日差しだったので、セーター一枚で歩いてみた。

柳橋から国技館、安田庭園を経て蔵前橋。
程よい汗をかいた。
部屋は7階にあるので、そこまで歩く。

マンションの横が公園で、しかも鉄棒がある。
試しにぶら下がる。
記憶の感触と現在の感触は、全く別物だ。
身体が重い。

高鉄棒なので、ちょいと逆上がり。
これがちょいとでは無かった。
下半身が重い。
というよりも腹筋が衰えているのだ。
お腹を緊張させる事がないからだ。

もちろん、それはそれで良いのだが、逆上がりが重いのは許せない。
頭に来るからその辺りを鍛えてやろうと思った。

逆上がりが重いのは「許せない」と、私は私の事を勝手に思う。

その根源は「美意識」だ。
言葉を極端に変えればスタイルになるか。

私が今日までブレていないのはこれだ。

仕事に対してとか何かに対するものは持ち合わせていない。
自分の人生は自分のものだ。

その自分に対して何を求めるのか?
そんな事は10代で決定していた。

その意味で75歳の現在でも変わっていない。

世間の人がいう「ブレ」は、そんな自分の根本的な姿勢ではなく、世間に対するものだったり、仕事に対するものだったりだ。
それは「経済」や「楽しい」「安定」を価値の根本に置いてしまっているからだ。
もちろん「洗脳」されているのだ。

経済は大事では有るが、自分の姿勢の方が大事だ。

お金は無くなれば稼げば良いし、稼がなくても良い。
だが、自分の人生は自分が無くなれば終わりだ。
やり直せないのだ。

その自分自身の全てに対する姿勢が決まっていなければ、死ぬまでグラグラだし、自分自身ではないまま、つまり、「洗脳された状態」で死んでいく。

死ぬのは誰?

武禅一の行は4月28,29,30日です。
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