自分の力で問題を見つけ解決する、それしかない

昨日の稽古は、久しぶりに北海道からの若者が来ていた。
牛の話馬の話等、動物の話で盛り上がった。

動物に「起こり」はあるのか?というような話だ。
そんな話をしていると、昔飼っていた犬を相手に「起こりを抑える」稽古をした事を思い出したし、そういえば、猫ともやっていたのも思い出した。
44,5年程前の話だ。

思えば、常に何かを探し始終稽古をしていた。
そんな事を思い出すと、何かの為の稽古方法を見つけ出すのが得意だと、これもまた思い出す。

しかし、ここをよくよく考えると、見つけ出すのが得意なのではなく、どうしても「それを実現したい」という欲求が高いから、必然的に見つけ出していくという人間の特性が働いているだけだと分かる。
そんなところから「既成の方法は要らない」と言うのだ。

しかし、しかし、何もかもで教えられ慣れしている現代の人には、この「方法は要らない」という考え方は理解出来ないかもしれない。
その上、説明の上手な人がもてはやされる状況では育つ筈もない。

もちろん、説明が上手である必要はあるが、その説明はものによるが、自分自身が体得したところからの説明が重要なのであって、巷に流れる情報を整理した説明をする人など何の価値も無い。

学んでいく場合、言葉数は少ない程良いのだ。
言葉に含まれる要素や背景を考えなければならないからだ。

そこが、試験勉強競技と人生を生きる智慧との違いだ。
自分が自分の力だけで考える。それが自分の役に立つ唯一のものだ。

「武禅」4月28,29,30日です。残り8席になりました。お早めにお申込みください。

「武禅一の行」受講者の感想 -

言葉にならない事を言葉にするのは難しい。それは、日頃説明や解説、もしくは評論的な言葉、伝達だけの言葉しか使って

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