その言葉を自分自身が使い続ける事で、「そんな」自分だと自己洗脳しているだけだ
一つの動きを完全に出来るまで挑戦する。
スポーツなら例えば、バスケットで3点シュートが一定の場所からだと絶対に入れるようになる。
こんな事は当たり前のように練習を繰り返す。
サッカーでも同じだろうと思う。
入れたいし入れなければ悔しいからだ。
そんな場面で一番最初に出て来る言葉、例えば「出来ない」と落ち込むのか「何でや?」と問題を見つけようとするのか「くそ~」と自分を発奮させるのか。
そんな種類がある。
中でも「出来ない」は論外だ。
自分の行動をストップさせるだけだからだ。
「落ち込む」のが悪いわけではないが、行動を止めるだけの時間的余裕を持っているのであれば、落ち込んだことが自分にとって重要な事ではないのだ。
もちろん、自分にとって重要な事を決めるのは自分だ。
だから当初重要だと思っていたが、小さな壁、つまり、克服しなければ前に進めない何かが目の前に現れて、それをスルーしようとして「落ち込む」という状態を作っているのかもしれないかもしれない。
そこがいわゆる踏ん張りどころだ。
と捉えるのか、「自分にとって重要ではない」あるいは「自分に向いていない」と解釈して止めてしまうのか。
どちらも自分次第だ。
ただ、自分にとって重要か否かは、時間が経たなければ見えてこないものだ。
その意味で、踏ん張りどころだと解釈し、スルーしようとしている自分に活を入れる事を薦める。
でないと、「スルー癖」が付くからだ。
逃げ癖だ。
最近は、この逃げ癖が付いてしまっている人が多いように思う。
それは世間の極端に人を甘やかす風潮の中で育っているからだ。
そんな甘っちょろいこころしか育っていない人が「自分らしく・楽しく」などあり得ないのだ。
「私は日野さんのように強くないから」という言葉も聞く。
私は決して強くはない。
ただ、目の前に現れた壁に対して「くそ~」が働くだけだ。
つまり、「強い・弱い」という言葉は、実体が無く意味も価値もない架空の代物だと私は捉えている。
そして、その言葉を自分自身が使い続ける事で、「そんな」自分だと自己洗脳しているだけだ。
その意味でも、自分が使っている言葉を整理し、全部自分の言葉にする必要があるという事だ。
4月28日(金)・29日(土)・30日(日)武禅は残り9席です。
お早めにお申し込みください