自分を労わるというのは

「自分を労わる」のは好きだ。
自分を労わる、それは次に進む事だからだ。

次に挑戦する。
「今」出来ない事を出来るように、それの連続だから、私はずっと労わって生きていると思っている。

もちろん、ここで「労わる」の解釈の色々がある。

私は、私を前に進める事が労わりだと解釈しているが、「自分を責めたり、駄目だしをしない」が労わるであり、自分を育てるだと解釈している人もいる。

もちろん、それぞれ自由だ。
だから、その事を否定はしない。
私とは「違う」というだけだし、私にとってはどうでも良い事だからだ。

私は私の労わりは、感情を育てているのだと思っている。
「出来ない」というダメ出しに真正面から取り組むから「くそ~」と、感情が湧く。
だから、それが力となり前に進む。

これが習慣化しているので、どんな壁があっても微塵も不安は起こらない。

「自分を責めたり、駄目だしをしない」場合、感情は育たない。
そうなると、それで大きな社会を歩いていけるのかな?という疑問はある。

大きな社会というのは、それだけ多種多様な人が増え、それぞれの表現手段も多くなる。
自分自身の捉えている枠では捉え切れない事が起こる。
その時に、立ち止まってしまうのではないかと思うのだ。

「出来ない」と真正面から向い合う。
それが自分なのだから仕方が無い。
そこがスタートだ。

「武禅」4月28,29,30日です。残り8席になりました。お早めにお申込みください。

「武禅一の行」受講者の感想 -

言葉にならない事を言葉にするのは難しい。それは、日頃説明や解説、もしくは評論的な言葉、伝達だけの言葉しか使って

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