「つもり」に早く気付かなければ時間の無駄が多いままだ
身体操作ということで難しい事は色々あるが、入り口は「自分の身体を自分として動かせない」だ。
何とも不思議な言葉だが、例えば「肘がリードした腕の動き」は定番のワークだが、肝心の「肘」を自分自身が見つけ切らないところだ。
もちろん、当人としては見つけた「つもり」なのだが、その腕に力を加えて見ると「つもり」だった事が分かる。
力が加わると、腕全体に力みが入ったり、身体全体に力みが入ったりするからだ。
つまり、「つもり」では実際には使い物にならないと「自分と対面する」事が入り口だ。
そこで肘に刺激(痛み)を加える事で、「そこ(肘)」を認識し、肘だけを動かす事が出来るようになる。
たったこれだけの事だが、自分が自分の身体を管理できないという事を知る為の入り口には丁度良い。
それが「体重移動」という事になると、「私全体が動く」という事になるので、今度は「思う」事が、身体全体が動くという事の妨げになる事を知るのだ。
「思う事」つまり「つもり」が、自分自身の身体の動きを妨げるという、アスリートには考えられない壁を一般の人は持っているのだ。
もちろん、厳密にはアスリートにはその壁が無いかどうかは知らない。
それは、アスリートの知人の数が少ないからだ。
何れにしても、「私が特別な何かをする」には、相当分厚い壁があるという事だ。
これは、「武禅」でも徹底的に稽古をする。
「私の前で声を出しているだけ」と「声が私に届いています」は、全く違うという事を体感し、それを実現するのが目的だ。
「オイ」と声かけを相手に向かって行うが、たったその一言が届いていないのだ。
「武禅」4月28,29,30日です。残り5席になりました。お早めにお申込みください。