お前は小学生か?の反面、自分を恥ずかしく思える女性もいる。
「武禅」で書いて貰ったレポートの返信を書いている。
「”うた“という言葉を届けるには、自分自身がいないと何もないと思った。レポートに書くと当たり前すぎて、書いていて恥ずかしくなるが、その自分でいるということにショックを受けている」と、完全に自分自身と向かい合っている文章があった。
女性だ。
初参加だ。
こんな素直な感性を持つ人が「居る」ということに感動する。
大方の人は、言葉をこねくり回しているだけで、自分に王手をかけず問題をうやむやにするか、何かに転嫁する。
あるいは「方法」に対して反対意見を述べる。
反対意見は、客観的な見解ではなく、自分を正当化したいからの意見だが。
「どうして?そうなるのか」どうして自分と向き合わないのか?だ。
だが、よくよく考えるに「自分に向き合うという事を知らない」人が多いのかもしれない。
それは、屁理屈を並べたら、それが通る世の中になって来ているからだ。
それこそ、カスハラ等が一例だ。
また、良い学校を出ていたら頭が良いと周りが言うので、「自分とは?」を放っておくのか、それとも、それを知る為の体験が無いのか。
よく思い出せば、もう一つパターンがある。
当人が打たれ弱いところから、まず自分を貶す事で相手からの言葉を交わす方法を用いる人がいるのだ。
自分に王手をかけるような突っ込みは、40数年前の内弟子達には行っていた。
もうそろそろ行き詰まるかな?という処に来ると「そうか、おれは馬鹿なのだ」とかわしてしまうのだ。
当初は、それは自分を認めた言葉なのかな?と思っていたが、そうではなく、そこでその攻撃が止まるのを無意識的に知っているからだった。
そういう屁理屈を意味もなく通してしまうのは、現場仕事ではなく、同じ仕事でも「言葉や文章」他のデスクワークしかしていない人、学生時代に部活等の縦型社会を体験していない人に多い。
もちろん、これは「武禅」を受講する人での話なので、デスクワークを仕事とする人でも、素直な感性を持つ人はいると思う。
また、言葉を沢山知っているが、知っているだけでその実体には辿り着いていない人も沢山いる。
もちろん、辿り着く着いていない、という違いを当人は知らない。
そういう人を見ると、「この人にはまともな友達はいない」とか「まともに関係している人がいない」のだろうと思う。
それは「指摘された事が無い」ということだからだ。
「それおかしいやろ」とか「言ってるだけやろ」と突っ込みを入れてくれる他人が周りにいない、つまり、冷静に言うと、自分を無視している人ばかりが周りにいるのだ。
もちろん、自分が自分を肯定してくれる場、あるいは人達だけしか付き合わないからだ。
まるで「小学生か?」だ。
ある程度の年齢になって、一般社会的には良い地位というか成功というか、とにかくそこにいて、それこそ人格的には幼い頭のまま、という事に気付かないのは情けない限りだ。
いずれにしても「書いていて恥ずかしくなるが、その自分でいるということにショックを受けている」と自分自身に向かい合う人がいるという事は、危ない日本だが、一握りの女性パワーが残っているという事だ。
沖縄ワークショップは5月30.31.6月1日、
東京ワークショップは6月6.7.8日
