認知症の方が、自分だけに反応するようになったのは
先日は熊野の道場で武道の合宿を行った。
「体重を」というテーマで、連動や移動を細かく行った。
結構緻密に行おうとしたので、密度が濃くなった。
そんな時間を過ごすと、5日後だったが「明鏡塾」はホントに久しぶりの感じがした。
今期から、2時間以上の時間をかけて、東京まで受講してくれている鍼灸師が、嬉しい報告をしてくれた。
老人ホームの認知症の方が、彼にだけ反応する様になったというのだ。
それは嬉しい報告だ。
私としては当たり前の事、つまり、そうなる様に指導している(人との関り)のだから、そうなって当たり前だ。
だが、もちろん自分で工夫をしなければ駄目だし、そこに時間をかけなければ「自分のものにならない(結果は出せない)」。
そうなる為に宿題や、様々な稽古方法を講座の間で伝えている。
この彼は、きっとアドバイスを、最初からそのままやり続けたのだろうと思う。
自分の時間を割いて、お金を払って来ているのだからモノにしなければ損だ。
そこを徹底的に突っ込んでいるのだろう。
何時もまんべんなくアドバイスをしているが、この場合、自分で意見を持っている人は、そのアドバイスを聞かない。
聞いたとしても、自分の意見で解釈してからするので、アドバイスそのもの、そのままではない。
そうなると、当たり前だが、折角習っている要素は身に付かない。
そういう人も沢山いるが、お金も時間ももったいないと思わないのだろうか?
自分の意見を通すのであれば、新しいことを学ぶ必要も習う必要も全くないのに、と何時も思う。
指導しているのは、「人の関係」だ。
それは、私自身が武道で「それがやれるようになりたい」という思いから工夫をし、その後「明鏡塾」の為に洗練させたものだ。
だから、そこは短期間でモノになるものではない。
でも、自分自身がそれを身に付けたいと思うのであれば、この鍼灸師のように必ず身に付くものだ。
この鍼灸師も、もっともっと稽古を積むと、まだまだいくらでも伸びしろはある。
それは、「人=患者さん」を相手にしているからだ。
「人と接する=人生の学び」としても過言ではない。
もちろん、施術家や医療従事者全般の方達にしても、「患者さん」と接するから治療や改善に関りながら、人生の学びを得ていると考えて欲しいのだ。
大阪ワークショップは初秋の9月21.22.23日