稽古を考えると
稽古納め、あるいは納会等と呼ぶ。
日本の良い習慣だ。
ただ個人的には、区切りなく稽古をするので稽古を納める事は無い。
大方の人は稽古をどう捉えているのだろうか?
例えば、剣道をしている人、空手の人柔道の人。
それぞれだろうと思うが、自分の稽古を疑いながらやっている人はいるのかな?
疑うというのは、目的に対して的確な稽古かどうかだ。
それと、この稽古法が一番的確かどうかかの二つだ。
稽古の最中は、頭に何も置かずにただひたすら行い、ある種の区切りの時、それを考えるのだ。
これは、中学の時からそうだから、60数年はこの感じだ。
どんな事でも、稽古の種類は大きくは2種類ある。
一つは、「そのもの」。
一つは、「そのもの」の目的を分解し、自分の弱点を「補うもの」の二つだ。
例えば、野球でスイングだとしたら、一つのそのものというのは、そのスイング。
そして、そのスイングの目的はホームランを打つ事だとすると、インパクトの瞬間と体重移動を一致させる稽古が2つ目になる。
という具合に、稽古を組み立てるのだが、もちろん、補う方の稽古が増える。
これが武道の技という事になると、「そのもの」が実に曖昧だから、逆に「補うもの」を考え出していかなければ「そのもの」は、単なる舞や運動にしかならない。それは、意識や相手との関係が、技を成立させる重要な要素だからだ。
日野武道研究所は、この「補う」を編み出して、一つの稽古法として稽古をしている。
だから、かつおの一本釣りの漁師さんから、競輪の選手まで色々な人が受講しているのだ。
ワークショップでは、そこを手短に3日間紹介しており、来年は大阪2月2.3.4日だ。