仕事に選ばれる私
宮大工さんの話で、「伝統」の実際について教えて貰った事がある。
お寺の修繕で天井を開けて中に入ると、芯柱に前回修繕の棟梁の名前と年月が書いてあるそうだ。
その横に自分の名前と年月を書き込むのだが、そこで先人に負けない作りにしておかなければ恥が時代を越えていくという。
何ともリアルでありロマンでもあると思った。
それは「自分の仕事」という自覚や、そこから生まれた姿勢が有り、手本とすべき棟梁がおり、手本とすべき歴史的建造物があるからだ。
そして、その手本を乗り越えなければいけないという、伝統の持つ宿命もある。
「私はこれが好きだから」という単純な動機で、こういった仕事に携わる事は出来ない。
つまり、仕事が人を選んでいるのだ。
私はこれが好きだ。
「仕事に選ばれる私」決して「私が選ぶ仕事」なのではないのだ。
もちろん、何れも自由だし、そうで無くても良い。
その自由性が、こういった伝統を先細りにさせていくのだろうが。
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