稽古
その場の「出来る・出来た」はどう?
今回の「武禅レポート」に、私にとっては不思議な言葉が書かれてあった。 不思議な、というのは、それこそ、私の辞書には無い言葉だ。 それは「やり続けるという事をしていない。一時的な「出来る」から、身に付けるを目指そう。」とい […]
自分の力で答えをだせ
稽古の仕方ということでは、もう何十年考えているか分からない。 人生全部が稽古だ、という言い方も出来るし個別の○○を鍛錬するのも稽古だ。 スポーツ選手の場合は、ある意味で目的とか目標が明確なので練習を組みやすい。それの一つ […]
見えている事は修正できるが、見えていない事は?
12期「大阪明鏡塾4講座」は昨日終わった。 講座のテーマは大きくは「触れる」「言葉を届ける」「気持ちを汲み取る」と三点だ。それ等を様々なワークを通して学んでいくのだ。 しかし、受講する大方の人は、それらのテーマは「教えて […]
威嚇している手、関係を閉ざしている手、みんな見えるのだ!
沖縄のワークショップの創成期から受講してくれていて、沖縄に私のワークショップを根付かせようと動いてくれている一人でもある屋良ミユキさん。少し前、東京のワークショップに参加してくれました。 その感想の一部を紹介します。 「 […]
何かが仕上がるまでには
例えば、現在の私は、結構うまいこと体重を移動させる事が出来る。 それを見た人は、誰でも「練習をしてきたから」だと括ってしまうだろうと思う。私は、どんな時でもどういう訳かそうは思わない。 それよりも「何を?どう?」また「ど […]
フランスから140名
フランスのレオさんが主催した京都での喜振会10周年記念演武会も終わった。 そこから思い出すと、私とレオさんの付き合いは10年以上になる。始めてパリに招待してくれた時の事を、昨日の様に覚えている。 何とパリ2泊4日だったと […]
基本という事を考えると
基本中の基本の、追い突きの順手と逆手が、もしかしたら完成したかもしれない。 基本中の基本というのは、武道・武術における全ての動きの元になるという意味だ。刀も棒も弓も組討ちにも適応しているのだ。 もちろん、まだ改良の余地は […]