昔書いた文章だが

もう、7月も終わってしまう。
「秋の気配」と思っても仕方がない。

とりあえず、新しいサイトへの移行だけをやろうと思って、いきなりページを埋めている。

20年足らず前に書いた、私自身の文章を読み返す。
そこに加減は要らないと感じた。

その時代に感じた事、考えた事はそれなりに力を持っているからだ。

自分の文章であっても、突っこみどころを探してしまうのだが、そこが目立たないからだ。

書いている事、つまり、考えている事は何も変わっていない。
それは、固まっていることではない。

40年前に感じた事、50年前に感じた事が言葉化されているのだが、現在は、その言葉を支える具体を生きているからだ。
つまり、自分自身の感覚を言葉化し、現実として「それを生きて実証する」その線を歩いているという事だ。

その実証は、私で言えば武道の要諦だ。
その要諦を様々な形で応用されて行き、その事で50年前に感覚された事と結び付き、その50年という時間を500年と考えたり、2000年と考えたりと置き換えてみるのだ。

そんな途方もないところを、今、生きている。

「一体、何の為に?」となるが、それは無い。
そこに意味も無ければ価値も無い。

「私はそうしている」だけしかないからだ。

体重移動の多人数掛け

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