2016年5月

感性
自分らしく自由に

私が求める「武道」はどんなものなのか? それに気付いたのは1999年頃だ。 それは2000年に書いた「武学入門」を改めて読んでいて思い出したものだ。 つまり、自分の実体に気付くのに、およそ40年はかかっているという計算に […]

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稽古
言葉を手に入れる歓び

今日は、書籍の打合せをしていた。 編集の人で、結構話を理解できる人との会話は、私自身の中にあるヒントが会話の中で出てくる。 その意味でも、会話は私に取って重要な役割を持っている。 生命の話、世界の未来の話、人工知能の話。 […]

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稽古
強要はしないが

世の中には色々な考え方がある。 色々な種類やレベルの違いを持った人達だらけだからだ。 百花繚乱と云えば美しく聞こえるが、混沌そのものだ。 私は、きちんとしたことをきちんとする、という基本が大事だと考える。 きちんとしたこ […]

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稽古
忘れる大事さ

身体のトレーニングをどう捉えるのかと問えば、色々な答えがあるだろう。 武道の場合は、それを忘れる為に有る。 もちろん、スポーツでも同じだ。 徹底的に身体に馴染ませ、その後忘れるのだ。 この「忘れる」という作業が相当大事だ […]

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からだ
何がどう出来ているのかを整理

愚息を見ていても、他の若い人達を見ていても「違うな」と感じるのは、フットワークの軽さだ。 それは本当に素晴らしいことだと思う。 しかし、余りにも軽すぎて「大丈夫か?」とも思う。 その大丈夫か?は、「何が得るべきものがある […]

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ワークショップ
身体定規とは我ながら良いコピーだ

1997年に書いた私の記事に「身体定規の確立」というのがあった。 読み返していて、このままで現在でも何の損傷もないことに安堵している。 およそ20年前に身体感覚を使い、自分の形が自分の持つイメージと、実際の動きに違いがな […]

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伝統武道
二人共大人やなぁ

昨日は、以前行われた「最強セミナー」の打ち上げというか、今後の展開なども交えての懇親会だった。 倉本先生や山城先生のお話の中で、セミナーや道場では叱らないという話題になった。 その話に振ったのは私だ。 以前、お亡くなりに […]

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人生波風一杯
私は偉い!と鳥肌がたった

私は意外と他人から習うということが好きかもしれない。 それは、本当に好きかどうかは分からないが、他人の考え方を自分のものにする、という視点だ。 「言われた事が出来る」というのは、明らかに他人の考え方を消化できる力がある、 […]

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稽古
18年ではこの程度

1998年に書いた自分の記事を読み返している。 書籍にする為だ。 18年前だ。 0歳児が18歳になっているということだ。 そう考えると18年は、途方も無い時間のように思う。 その18年間には相当色々な出来事があり、貴重な […]

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人間関係
“なんでマン”ですよね

「どうして“なんでマン”なのでしょうね」 何の話かというと、昨日食事をした競輪の西岡君との話の中身の事だ。 “なんで”自転車を漕ぐのに太腿の筋肉がいるのか? というような“なんで”の話だ。 とにかく、「あれぇ」となったも […]

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