2016年5月
言葉を手に入れる歓び
2016年5月30日
今日は、書籍の打合せをしていた。 編集の人で、結構話を理解できる人との会話は、私自身の中にあるヒントが会話の中で出てくる。 その意味でも、会話は私に取って重要な役割を持っている。 生命の話、世界の未来の話、人工知能の話。 […]
何がどう出来ているのかを整理
2016年5月28日
愚息を見ていても、他の若い人達を見ていても「違うな」と感じるのは、フットワークの軽さだ。 それは本当に素晴らしいことだと思う。 しかし、余りにも軽すぎて「大丈夫か?」とも思う。 その大丈夫か?は、「何が得るべきものがある […]
身体定規とは我ながら良いコピーだ
2016年5月27日
1997年に書いた私の記事に「身体定規の確立」というのがあった。 読み返していて、このままで現在でも何の損傷もないことに安堵している。 およそ20年前に身体感覚を使い、自分の形が自分の持つイメージと、実際の動きに違いがな […]
私は偉い!と鳥肌がたった
2016年5月26日
私は意外と他人から習うということが好きかもしれない。 それは、本当に好きかどうかは分からないが、他人の考え方を自分のものにする、という視点だ。 「言われた事が出来る」というのは、明らかに他人の考え方を消化できる力がある、 […]
“なんでマン”ですよね
2016年5月24日
「どうして“なんでマン”なのでしょうね」 何の話かというと、昨日食事をした競輪の西岡君との話の中身の事だ。 “なんで”自転車を漕ぐのに太腿の筋肉がいるのか? というような“なんで”の話だ。 とにかく、「あれぇ」となったも […]

