私は偉い!と鳥肌がたった

私は意外と他人から習うということが好きかもしれない。
それは、本当に好きかどうかは分からないが、他人の考え方を自分のものにする、という視点だ。
「言われた事が出来る」というのは、明らかに他人の考え方を消化できる力がある、という事だからだ。
そんな事を試すには、全く知らないことを習ってみるということをする。
くだらないところで、自動車教習所。
そこで教師の言うとおりに運転する快感は、「私は偉い!」と勝手に鳥肌モノだった。
教師が「日野さん、以前運転していましたか?」と聞いてくるくらい、正確に教師の言葉を表現するからだ。
高校生達が年齢に達したので、免許を取りに来ていた。
教師に散々叱られて、ふてくされている少年がいた。
「なんで叱られたんや」と言葉をかけた。
「人生は、まずはハイからやで。それだけで上手いこと行くことが沢山有るんや。教師にハイと言ってみ、態度が変わるから」とアドバイス。
「おっちゃんは、初めて免許をとるんか」「そうやで」「でも、運転を見ていたらそうは見えないで」「教師の言う通りやっているだけやで」「そうか」
そんなやり取りも教習所であった。
習い方を知っていたら、スムーズに物事は進む。知らなければ、思いもかけないところで躓く事がある。
教習所での高校生のように。
ふてくされても仕方がないが、ふてくされてしまうものだ。
しかし、この時期、つまり、高校生くらいの年齢の時に、頭ごなしに否定されるのが一番の勉強になる。
「何でお前に言われなあかんねん」というような、ストレートな感情が湧き、それが成長への土台になるからだ。
私は、この時期は頭ごなしに怒鳴られる、という中で育った。
それが習い方、学び方を修得させたと、今になって思える。
もちろん、私は誰よりも他人から指図をされるのが嫌いだ。
だから、思い切り反発する。
「なんでやねん」と。
しかし、「これは」という事に関しては、恐ろしく素直に指図通りになる。
これは、教えられたことでも習った事でもない。
子供の頃から、そう生きてきたからだ。

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