言葉を手に入れる歓び

今日は、書籍の打合せをしていた。
編集の人で、結構話を理解できる人との会話は、私自身の中にあるヒントが会話の中で出てくる。
その意味でも、会話は私に取って重要な役割を持っている。
生命の話、世界の未来の話、人工知能の話。
会話は留まること無く流れる。
「そうか、私はこんなことを考えていたんや」と、声に出し言葉にした時に発見する。
武道という埃の被ったシロモノは、それを読み解く人によって無限の宝物にもなるし、ただの紙くずにもなる。
そこに武道があるのではなく、武道は自分の中に作り出すものなのだ。
そんな話に終始した。
私は1970年代に「重力」という言葉を手に入れた。
60年代にガガーリンが宇宙飛行をし、その生還の模様が報じられていた。
そこに「重力」の実体を知ってはいた。
それが武道と身体を結ぶキーワードになったのだ。
この言葉を手に入れた時、子供が最高のおもちゃを手に入れた時の様に喜んだものだ。
この重力から、どこまで身体が広がったのか、今となっては忘れてしまった。
しかし、現在「身体」を考えている基盤になっていることは確かだ。
一番新しく手に入れた言葉は「アイデンティティー【identity】」だ。
もちろん、言葉としては遥か昔から知ってはいるが、そのことと武道とは結びつかなかった。
この言葉が結びついたのは、2005年から指導していたForsythecompanyと出逢った時だ。
人は、色々な言葉を使い持っているが、それが自分自身とどんな関係があるのかを考えて見る必要があるように感じる。
実体と、あるいは、自分の歩いている道と何ら関係のない言葉を沢山もっているのは、整理下手な人の部屋や家と同じなのだから。

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