自分らしく自由に

私が求める「武道」はどんなものなのか?
それに気付いたのは1999年頃だ。
それは2000年に書いた「武学入門」を改めて読んでいて思い出したものだ。
つまり、自分の実体に気付くのに、およそ40年はかかっているという計算になる。
もちろん、現在は「気付いた」から、進化していっているので、それではない。
ただ、気付いた事の実体化が進んでいるから、枝葉末節がかっちりしてきた、ということで、その意味では進化ではないかもしれない。
たった1つの言葉を見つけるのに10年単位の時間がかかるのと同じで、実体として進めていこうとすれば、何十年という単位になる。
しかし、それも地球という規模から、あるいは宇宙という規模から見れば、一瞬にも充たない時間だ。
1999年頃に、色々学ばせて貰った諸先生方に別れを言ったのを思い出した。
もちろん、諸先生方とは、私が勝手に学ばせて貰っただけで、教を乞うたことも、弟子入りしていたという意味ではない。
そこが私の一つの節目の時だったような気がする。
今は、また別の視点で、多くの人達を先生とし、学ばせて貰っている。
自分は一体何に気づき、それをどう糧とし、どこへ行くのか。
真っ暗闇の未来に向かってただひたすら歩いて行く。
後ろを振り返れば、明るい過去が見える。
世間とは真逆の生き方のようだが、実際はこれしか「私として自由に生きている」は無いのだ

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