18年ではこの程度
1998年に書いた自分の記事を読み返している。
書籍にする為だ。
18年前だ。
0歳児が18歳になっているということだ。
そう考えると18年は、途方も無い時間のように思う。
その18年間には相当色々な出来事があり、貴重な体験も数知れずあっただろう。
知識も相当増えている筈だ。
しかし、例えば武道での相互関係の中で「何時動き出すのか」ということの実体を作るということで言えば、これを書いている時(18年前)に出来ていることと、現在できていることはさほど変わらない。
しかし、現在では逆にまだまだ駄目と思う。
という事から見れば、18年という時間では、その程度の進化しか出来ないということだ。
同時に、その18年間で武道の何たるかが見えてきたということでもある。
自分の身体を通して、あるいは、自分の思考を通して、その自分を成長させるというのは、視点が幾つも必要だ。
折角自分が工夫を重ね獲得したものがあっても、それを見極める視点がなければ、自分自身が何を獲得したのかを知ることが出来ないのだ。
そこから言うと、その視点が自分にとって一番重要な視点なのかもしれないと思う。
人は「何も出来ない」ということは絶対にない。
何も出来ないと思うのは、「どういうことを、自分は出来ているとしているか」という固定観念があるからだ。
その固定観念と、実体としての自分の開きばかりを見るから、「何も出来ない」になるだけだ。
もちろん、「これが出来ているということだ」というのは大事ではある。
しかし、そのことと実際に積み上げて行くことは別物なのだ。
そんなことも、18年間の中で気付いていった。
という事に気付いているのだから、進化はしている「筈」だ。
と思いたい。