人生
好き・嫌いという感性は、磨かなければ幼いままだ
無意識的に「好き・嫌い」を価値観を決める定規にしていたのに気付いたのは1968年20歳の時だ。
「好き・嫌い」は、多分誰にでもある感性的反応だ。
それを磨かなければ、低次の感性的反応しか起こらない。
その事に気付いたのは、それから20年後くらいだ。
「セリ鍋」は無茶苦茶美味しかった、その後の雑炊も胃袋が満たされていなければいくらでも入った!
「セリ鍋」これが絶品。
後のおじやが、これまた美味しい。毎年の仙台でのコミュケーションセミナーを終え懇親会での話だ。
日本人はどれだけ歪やねん、ほんま坂道を転がり落ちるように壊れていってるわ。
「ええ~!うそ~!」思わず目を疑いつつ唸った。 昨夜、大阪の稽古を終えホテルに帰った。ホテルの隣にコンビニがあったので、水でも買おうと思った。 何か違和感を感じて2人連れの女の子を見た。よく見るとパジャマ姿だ。外国の人か […]
意味不明の余裕が様々な言葉に振り回される
「承認欲求」何度か見た単語だ。調べて見ると『「他者から認められたい」「自分を価値ある存在として認めたい」という欲求のことをいいます。』ということらしい。 私の子供の頃や10代20代ではなかった言葉だ。心情的に持っていた人 […]
本気?誰でもどこでも本気だろう?そうとは知らないのは自分だけだ
私達は、その生物としての生と死を無視し、様々な価値観や頭の中にある言葉を全うする事を人生と呼んでいるので、話がややこしくなるし生物としても弱いのだ。もちろん、生物としての生と死は、人生と密接に繋がっている。交通事故に合い生死の境をさまよったとしたら、「ちゃんと生きよう」あるいは「生きていて良かった」と思う人が大半だろう。それは生物としての生死を自覚したからだ。
5mのパイプは重たい、持ち方を間違えると振り回される
屋根修理をするのに、パイプで足場を組む。組む時は倒れないようにと念を押して組み上げる。解体は倒れないように外していかなければいけない。
頭と行動の隙間は驚くほど深い、それを知らなければ行動にかかれない
思っている事を行動するのは難しい。むろん、難しいと分かっている人は、思っている事を行動した人だ。それをやった事のない人は、残念ながら「難しい」と知っているだけだ。
仕事4 思ったら良いのですか?それが他人事の証だ
「思ったらいいのですか」で、そのことが他人事になってしまっていると先日書いた。 これは自分を無意味に分析したり説明するのと同じだ。この根源は「教えられ慣れ」からくるものだし、それを何の疑いもなくやってしまう、いわゆる「良 […]
仕事とは、自分そのもの、自分自身を知り成長させる3
2006年のブログを、生徒が貼り付けてくれていた。 どういうことだろう?どうして、何10年も同じことを言い続けていなければならないのか? 「仕事」に対する姿勢、それは大きく言えば自分自身の生きる姿勢だ。「何が何でも」は、 […]