寿命や
人から受けた恩に報いる為に人生を生きた、そして、家族の為だけに生きたと言える奴だった。
彼の生い立ちを想像する事は出来ないが、そう私と変わらないだろう。
生きた地域も似ている。
私よりも3つ年下だ。
事あるごとに、現在の仕事の話を私にしていた。
その彼の心意気にうたれ、彼の職場の立て直しを引き受けている。
もう、35.6年の付き合いになる。
昨日、子息に聞いてみたら、17歳の時に私の稽古を受けたと言っていた。
出会いは、私達らしい出会いだったと言えるだろう。
「どっちが強いかやってみようや」お寺の本堂だった。
家族葬で、こじんまりと静かな儀式だった。
ここに来て、改めて日本語の素晴らしさを感じた「寿命」なのだ。
旅達つ人、残る人達にとって何と救われる言葉か。
神も仏も先祖も無く「寿命」なのだ。
「お前な、俺より先に行くんやから絶対にまっとけよ」「絶対にまってます」
お互いに、これが正面向い合いだ。
「見たか?」