迷子だから
一昨日は、大阪「明鏡塾12期」の最初の講座だった。
再受講の方が沢山いて、例によってレベルの高い稽古になった。
もちろん、迷子になる人もいるが、それはそれで仕方がない。
再受講されている殆どの人は「迷子になったから」再受講しているからだ。
つまり、二つに分かれているという事だ。
迷子になって、分からないから止めよう、あるいは、その分からないを「自分にあっていないから」に変換して止める人。
もちろん、それぞれの事情があるし選択の自由だ。
「迷子になったが、何かピンときた」と言う人が、再受講の人だと思う。
だから、「ピンときたか・否か」がそこの分かれ道だろうと思う。
がしかし、それは「明鏡塾」に限らず、どんなことでも「ピンときた」「ピンとこない」で選り分ける基本になる人と、自分の判断が選り分ける基本になる人の二通りになるのではないだろうか。