我が道を行く
皆さん、祝福の言葉をありがとうございます。
76回目の誕生日は、今年も大阪ワークショップで祝ってくれた。
私は基本的に天邪鬼だ。
これは子供の頃から全く変わっていない。
その事が、私の進むスピードを落としているのを知っている。
でも、常に天邪鬼が発動してしまう。
誰かが何かを良いと言えば、「アホか、それはあかんで」とくさす。
逆に「あかん」と言えば「いや、良いやろ」と褒める。
右と言えば左、前と言えば後だ。
だから前に進みようがないのだ。
自分の事を天邪鬼だと知ったのは、中学の時の器械体操だ。
体操をしたい、と思ったが、習うのは嫌。どうしてかは分からないが、上からゴチャゴチャ言われるのが嫌いだったのだ。
この中学の時期の体操への取り組みは、自分で考え、行動するという私を作り出した。
もちろん、後から考えれば、だが。
この時、クラブの先輩や先生のいう事をきいていれば、もっと良い成績を残したかもしれない。
授業もまともに受けて、先生のいう事にしたがっておれば、皆と同じように高校・大学と進んだかもしれない。
しかし、皆と同じはしなかった。
ここがこの時期一番の天邪鬼だ。
だから、自分を鍛える事が出来たのだ。
違う道だから、頼るものは無いし頼れる人もいない。
それが面白いのだ。
一人だという心細さが面白いのだ。
それでしか心の強さを養えないだろうと思う。
皆が高校で勉強をしている時、私は小さなスナックを経営していたり、小さなBarでホステスさん10名程を使っていたりしていた。
そんな事を思い出すと、自分自身の事を不思議に思う。
何に対して天邪鬼で、何に対して素直なのか、そこをどういう具合に選り分けているのか、さっぱり分からないのだ。
基本的に、皆と一緒は嫌だから皆のマネはしない。
だから、大人になってから誰と話をしても、話は合わない。
でも、逆に一つの事を掘り下げている話は、そういった人達、例えば職人さんや、科学者とは話が合うし突っこめた。
その他大勢の人とは合わないし、合わす気も無い。
と書いていて気付いた。
天邪鬼は「皆と同じ」に違和感を感じていたからだ。
その意味で、中学生の頃から「我が道を行く」を歩んでいたのだろうと思う。
天邪鬼だから、常に「皆と同じ」人と衝突しながら76回目の誕生日を迎えた。
これからも死ぬまで「我が道」を行くのだろう。