あの時は熱く、誰もが生きていた
大阪のワークショップでの質問で「今迄生きて来た中で、今が一番だと思いますが、強いて上げるとしたら何時の時期が良かったですか?」と問われた。
おっしゃるように、何がどうなっていても「今が一番」だ。
その時間を対処している私を好きだからだ。
それはさておき、時期という事で少し考えた。
そうなると、やはりあの時期しかない。
1967年から1978年の間だろう。
あらゆる芸術が、沸騰し続けそのうねりがヨーロッパは元よりアメリカから日本を巻き込んだ時期だ。
反戦や体制批判を旗頭として、20歳代の若者が盛り上がった時期だ。
演劇も音楽も詩も、絵画もダンスも、何もかもがごった煮になり、色々な実験が行われた。
もちろん、コンサートや各イベントも色々なコラボがあり、それぞれに競い合った時期だ。
観客も本気で見、聴いた。
つまらない演奏にはビールの空き缶や、一升瓶が投げられた。
もちろん、ヤジも半端ではなかった。
「ひっこめボケ!」「金返せ!」これは普通だ。
もちろん、私達もヤジられビールの空き缶の洗礼は受けたが、そうやすやすとへっこまない。
「じゃかましいわ、黙って聞けボケ!」
そうなると演奏は観客との真剣勝負になる。
それがスリリングで、本当に楽しかった。
皆、誰もが生きていた。
その後、人々は死んでしまったようだ。
写真は能登地震で被害を受けた加賀屋ホテル・1970年頃1年契約でホテルで演奏していた。全員長髪!