福岡ワークショップ、お疲れさまでした‼
福岡ワークショップは昨日で終った。
今回は、どういう訳か地方にしては受講者が多かった。
もちろん、素直に嬉しい事なのだが「なんでや?」と不思議に思う気持ちが強い。
このあたりが、私の天邪鬼な気持ちの歪みが邪魔をする。
受講者の多さは、各クラスの活気と性比例する。
むさ苦しいだけの武道クラスも、女性が多いので賑やかにも関わらず熱心に取り組んでいた。
アメリカで20年ほど武術を指導し、帰国して数年という方もいた。
その方は、アメリカでの体格差から、技のキレが悪い事に疑問を持ち「雑誌秘伝」で私の事を知り、記事を元に独自で工夫されていたようだ。
今回福岡でワークショップがある事を知り、千載一遇のチャンスだと受講してくれた。
また、臨済宗の僧侶もおり、多種多様な人が受講してくれていた。
番外のクリシック・バレエクラスも、昨年同様海外で踊っているダンサーが里帰りがてら受講してくれた人もいて、こちらも賑やかだった。
昨年の「胸骨操作」が海外の舞台で強烈に役立ったから、もっと知りたいとなって今回も来たようだ。
最終日は、応援の実際だ。
今回のワークショップを振り返ってみれば、充実した内容だったのではないかと思った。
何よりも、アイディアが湧いて来た事、身体が動いていた事が、その充実を物語っている。
10年を超える時間の中で、確かな成長を見せてくれた人達もいた。
そんな姿を見ると「頑張ろう!」となる。
自分自身の「常識観・固定観念」そういった事に気付きそこを突き抜けなければ、人生も人間関係も楽にならない。
そんな話を、力強くする。
そんな時「何のワークショップをしているのだろう?」と、混乱してしまう事がある。
こんな感想をくれた人もいた。
『~~~「応援合戦」には参加しなかった。
ヘタレて、横で見てた。
でも、応援された余韻が私にもちゃんと残っていて、背中を押された。
そして、人を応援出来る気がしている。
本気はこわい。
本気の自分を感じるのはこわいのだけど、本のちょっとだけ感じられたように思う。』
https://www.facebook.com/kaoruyoga
「本気が怖い」は、本当のところだろうと思う。
知らないような知っているような感じだからだ。
とにかく、今回は楽しんでいた人が多かったように思った。
それがまとまりのように感じたのだ。
そのまとまりのような感じが、皆を包んでいたように感じた。
こんな感想もあった。
『今年も、この時期がやってきた。
一年に一度の、日野 晃先生の博多でのワークショップに参加しました。
思い切りカラダと感覚を使うワークは、鈍っていたであろう感覚、いや、怠けている感覚を呼び覚ます訓練にはもってこいです。普段いかに雑に物事を見て、聞いて、話し、感じているのかを再確認させられます。
見ているようで見えていない、聞いているようで聞こえていない、話しているようで伝わっていない、感じているようで麻痺している。そうゆうことに、改めて気付きリセットする大事な時間。~~~~。
今回のワークでは、敢えて本気の応援をすることで、何倍もの力となることを実感。実際に男性2人に思いっきり腕を掴まれていましたが、本気の応援の力を受け取り、男性2人かがりを崩しました。私だけではなく他の参加者の方もです。何かの技を使うとかではなく、そういう見えない力の作用を体験。
身体で体験すると腑に落ちる。腑に落ちるまでの過程や理解度、時間は個人差があるにしろ、分かりやすいのです。
なんと今回、ワーク中に肘を痛めてしまったのですが、日野先生は、私の肘辺りを摘むように持っているだけで、あっという間に数十秒で治療していただきました。懇親会中も、手の甲の一点を軽く触れる感じで肩もスッキリと楽になりました。これも貴重な体験となりました。~』https://www.facebook.com/akie.fujinaka
他に、感想を書いてくれた人達
https://ameblo.jp/yowado11/entry-12928475189.html?fbclid=IwY2xjawMrzl5leHRuA2FlbQIxMQABHv95r-IVY2QCwnEzOzHuEtXMrTj2-22ox9bYqnFj0ep0Oclctuk6XO5Su_7L_aem_rB4DQwAEI_MUtZnfOL9Z3Q
一期一会と道楽|脱日本放浪記(尾中 泰)
(表紙の写真は、少林寺拳法 宗道臣開祖の法話を大学合宿の本山受講時。残念ながら開祖は2年後にご逝去) ビジネス通じての自分の失敗談をメインに恩送りの随想録にして…
毎日に打ち上げ、最終打ち上げ。
毎日の打ち上げが盛り上がっていたように思った。
来年はあるのか無いのか、それが分からないから今回が最終の感じで臨め‼と、ワークショップの始めに皆に話したのだ。



