私のこの年になって思うのは「良かった・悪かった」という「時」など無い、という事
大阪の稽古を終え、熊野道場へ「くろしお」で向かった。
一つ心配だったのは、飛行機が飛んだ後なので、駐車場の門が閉まっている事だった。
しかし、ラッキーな事に、東京の線状降水帯のおかげで、駐車場の門は開いていた。
例によって、道場の水は止まっていたが、抜けて居る箇所の目星が付いていたので、明日の朝はそこから取り掛かる。
今日の早朝、屋根に何かが落ちる大きな音で目が醒めた。
屋根を見て回ったが、別段どこかが壊れた痕跡は無かった。
しかし、何の音だったのだろう。
「夢?」
道場での最初の仕事は、水のパイプを繋ぐことだったが、目星を付けて居た所だったので、簡単に無事に繋がり水は出た。
問題はスズメバチだ。
その巣の辺りを見ると、巣を作っていたと思われるシートの感じが違う。
ハチが飛んでいない。
そうか留守の間に、業者さんが退治してくれたのだ。
有難い、これは良かった。
安心して屋根に上がれるし、修理が出来る。スズメバチの巣は、
昔、息子と2人で壊した事があった。
台風の夜、雨と風に紛れて叩き壊したのだ。
そんな事が2,3回あった。
それが、「スズメバチの巣→夜殺虫剤かけ→叩き壊す」という図式が出来上がったのだ。
土曜日に、息子が到着。
お互いのスケジュールをすり合わせ、工事を考える。
雨が続いていたので今日からが(16日)本格的に工事だ。
昨晩、息子に「悟空拳」の動画を見せた。
一人で黙々と稽古をする姿は、和太鼓を稽古する集中力と被っているのだろう。
私がドラムに向かう姿勢と似ている。
親子だから似ていて当たり前だ。
ざっくりと覚える速さは、小学生の頃と変わらない。
その時にふと思った。
小学生の頃、泣いても稽古を止めさせなかった。
それが良かったのか悪かったのかは分からない。ただ、
私のこの年になって思うのは「良かった・悪かった」という「時」など無い、という事だ。
「その時があった」だけで、「それぞれの時」は、乏しい自分の知識や情報で判断するような「貧しいものでは無い」という事だ。
もちろん「今」も。



