自分に本気で取り組んでいなかったという、現在地を知った!
昨日まで、熊野道場では109回目の「武禅一の行」でてんてこ舞いだった。
皆が帰ると、何時もの様に後はグッタリだ。
「先生が、何時動けなくなるか分からないので来ました」と思ってくれる人もいると思えば、そんな事は何一つ考えていない人もいる。
ま、人それぞれだ。
今回の「武禅一の行」は、何時もの約半数だった。
その分、ゆったりとした時間のような感じだった。
感想文の中に「いつもより一体感があった」と書かれたものもあり、やはり何時もとは何かが違ったと感じた人もいたのだろう。
ゆったりとした時間という事は、それだけ皆に目が届く。
という事は、それだけ取り組む姿勢を観察出来たという事になる。
そうすると、何時もより辛辣なアドバイスが飛んだ、ということだ。
私は何よりも「自分自身に誠実ではない人」にその事をぶつける。
社会は「関係」を軸として成り立っているからだ。
自分の事を知らないのに、他人との関りを適切に出来る筈もない。
しかし、知識だけはある。
その歪さが他人に違和感を与えるのだが、歪な人にはその事は分からない。
また、歪な人は「他人が見えていない」から、歪な人も判別出来ない。
だから、言葉だけのやりとりだけになる。
しかし、そのやり取りは知識だけのものだから、一言突っ込むと何も出て来ずに沈黙になる。
もちろん、色々な考え方はあるが、私はそう確信するから「武禅一の行」は、その「関係」を軸に講座を組んでいる。
今回、初参加の女性の感想に「自分に本気で取り組んでいなかったという、現在地を知った」とあり、私の主旨を汲んでくれていた。
こういう人が一人でも増え、言葉に踊らされた人生を歩む事から「自分の手足で生きる」人を増やしたいと思い続けているのだ。
次回は来年、2025年だ。