消されてしまったこころのスタンダード
夕方6時頃に買い物で外に出た。
夕方だった。
少し前はまだお昼の延長だった。
立春が過ぎ、夏至を通り越し、だんだんと昼が短くなっていく。
そうすると、ツクツクボーシが鳴き出し秋が顔を出す。
こんなことを書き出すと切りが無くなる。
こういう流れを76年間も体感して来たからだ。
夕方の少し寂しげな雰囲気が心に染みる。
場所を問わず「夕方」というこころの雰囲気だ。
訳は分からない。
子供の低学年頃からそうだった。
「ふと」なのだ。
その「ふと」という事で気付いた事がある。
日本の歌、例えば、唱歌、民謡、演歌、歌謡曲、jポップス他、色々あるが、よく考えると、日本には俗にいうスタンダードが無いのではないか、と思ったのだ。
もちろん、今でも民謡や歌謡曲、演歌はある。
私達団塊の世代よりも上の世代は、きっと演歌や歌謡曲がスタンダードだった筈だ。
もう少し上になると、軍歌に歌謡曲等が宴会で唄われていたからそれだろう。
しかし、私は、年をとっても絶対に演歌を唄うおっさんにはならない、と中学生くらいの時から思っていた。
どうしてそう思ったのか?その時は分からなかった。
「古い」その一語だったからだ。
昭和30年頃、真空管のラジオから流れてくる音楽は、歌謡曲、浪曲だ。
その前は、叔母や周りの大人たちが口ずさむ軍歌だった。
その音楽環境が昭和25.6年頃から変化する。
アメリカの歌、そうロカビリーが入って来たのだ。
エルビス・プレスリーやポールアンカだ。
この頃から急激に、音楽はアメリカ産のものになっていった。
テレビもアメリカの西部劇「ローンレンジャー」家庭をモチーフにした「名犬〇〇」というような(昔の事なので名前を忘れてしまったが)ドラマを放映していた。
映画で覚えているのが、ジョン・ウエインの騎兵隊ものだ。
その映画で、完全にインディアンを悪者だと思わされた。
それこそが洗脳だった。
数え上げたら切りがないくらい、そういった類のもので、私達は固められていった。
アメリカが企んだ、壮大な新植民地計画だったのだろう。
以前にも書いたが、イギリスのオーディション番組に「ボイス」がある
https://www.youtube.com/watch?v=5_Ox34opf_U
私にとっては懐かしいトム・ジョーンズ(今ではサーの称号を貰っている)や、若手で映画「ドリームガール」で助演女優賞をとったジェニファー・ハドソン他2人が審査員なのだが、何かある度に直ぐに唄い出すのだ。
それが楽しみで見る。
ジェニファー・ハドソンの圧巻の声量を、トム・ジョーンズ(1940年生まれ)がニコニコしながら聞いていたり一緒に歌ったりする図が本当に素晴らしい。
お互いが尊敬しあっているのが見えるからだ。
古い歌をトム・ジョーンズが若手に説明したり、唄ったりする。
そこに若手が絡んで来たり、涙したりしている。
その時に「スタンダードがある」から、若手も古い人も関係なく共有出来ている事に気付いたのだ。
そういえば、日本のスタンダードって何だ?と。
私達が壊したのかも?だ。
大阪ワークショップは初秋の9月21.22.23日