自分の力で答えをだせ
稽古の仕方ということでは、もう何十年考えているか分からない。
人生全部が稽古だ、という言い方も出来るし個別の○○を鍛錬するのも稽古だ。
スポーツ選手の場合は、ある意味で目的とか目標が明確なので練習を組みやすい。
それの一つのモデルとして、オリンピックレベルのアスリートやアメリカで活躍する大谷選手がいる。
しかし、こと「武道」という事になると、いっぺんに訳が分からなくなる。
もちろん、取り組んで居られる方それぞれに目的を持って取り組んでおられるので、それはそれで良いし素晴らしい事だ。
他人がごちゃごちゃ言う権利も必要もない。
もっと言えば、どうでもよい。
私自身、その人自身がどう考えているのか、どう生きているのかが大事だからだ。
「武道」は見た目には、競技と近似するし、格闘技だとおっしゃる方もいる。
それはその人にとってはそうだから、それで良いのだ。
世界は、そういったそれぞれの解釈で出来ているからだ。
だから、幼児の疑問の様に「どちらが強い?」という質問を受ける事も多々ある。
こう書けば、まるでその質問はレベルが低いように、思われる方もいるだろう。
私も、当初「レベルが低い質問」だといなしていた。
しかし、私にそれを明確に答えるだけの深さも無かったからだ。
同時に、「武道」というものを深く考えた事も無い事に気付いた時があった。
しかし、考えれば考える程、幼児に答えられる答えに辿り着かないのだ。
それは、私がまだ私自身の「武道」の芯を捉えていないからに過ぎない。
という具合に、疑問や質問は、時として思わぬ深い問題を与えてくれるものだ。
そういう出来事に遭遇するので、出来る限りどんなことでも突っ込んで考えるようにしている。
まるで「なんで?」時期に戻ったように。
大事なのは「自分が持った疑問だから、自分の力で解決したい」からだ。
「武禅一の行」は、そういった姿勢を植え付ける要素も持っている。